泣くときの唇伸びて月夜かな 池田澄子【季語=月夜(秋)】


泣くときの唇伸びて月夜かな

池田澄子


確かに、唇がぎゅっと伸びている。
赤ちゃんのように、うわーん、と大口を開けて泣くとなればさすがに唇はゆるまっているが、いい大人はそんなふうには泣かない。
それでも、唇をただ閉じておくだけでは、からだの内側から何かが溢れ来てしまう。
気を抜くと一気にぶわっと出てきてしまいそうな感情を、なぜかそれを自分の中にとどめておきたくて、押しつぶすようにぎゅっと力を入れて、口を硬く閉じる。

ほんとうは心の中では、赤ちゃんのようにうわーん、えーん、と解き放ちたいほどに感情が膨らんでいても、それをなんとか口元で止める。そのかわりに、涙が溢れてくる。
それが「泣くときの唇」なんだと、改めて思った。

伸びて、という表現は身体感覚に迫っていて、リアリティも共感もあるのに、よくよく考えるとあまり言語化されてこなかった気がする。
伸びるというからだの状態を示すことばから、こんなにも鮮明に心の状態が浮かび上がってくるとは。
唇を表現したことにより、結果、溢れ出てしまった涙の純度や濃度みたいなものまで感じられる。

そしてその、涙と伸びた唇の硬さを、月夜が包み込んでくれる。
重く悲しい夜気を、吸い込まれそうなほどにやさしいひかりが救ってくれるような気がする、そんな月夜を思った。

きのう、火曜担当の千野千佳さんの〈ハイクノミカタ〉を読んでいて、「蒼海俳句会」の俳人、国代鶏侍さんの訃報に突然触れた。
千佳さんが書いているとおり、関西在住の鶏侍さんは、彼らしいというか、とてもユニークな句を書かれる俳人で、すっかり作風が確立している方だった。いろいろな投句先に積極的に挑戦されてご活躍されていたので、名前を見たことがある人はかなり多いと思う。
私が運営している「句具ネプリ」にも、いつも参加してくださっていた。
ユニークなだけでなく、どこまでも人想いで暖かな書きぶりもとても好きで、いつもいつも楽しませてもらっていました。この場をお借りして、鶏侍さんのご冥福をお祈りいたします。

突然の知らせに悲しみ、動揺しながらも、思わず池田澄子さんの句集『思ってます』を手に取った。
掲句も、その中の一句だ。

逝くという静かなことば弓張月  池田澄子
佳い人ほど早く死ぬんですなんて素麺  同
夏掛や逢いたいお化けは来てくれず  同
いま行った電車に彼が居た 寒暮  同
電車の暖房強し関西弁速し  同
句集『思ってます』より)

じっくり読み進めていったら、関西弁の句を見つけた。

泣くときの唇伸びて月夜かな 池田澄子
句集『思ってます』所収

後藤麻衣子


【執筆者プロフィール】
後藤麻衣子(ごとう・まいこ)
2020年より「蒼海俳句会」に所属。現代俳句協会会員。「全国俳誌協会 第4回新人賞 特別賞」受賞。俳句と文具が好きすぎて、俳句のための文具ブランド「句具」を2020年に立ち上げる。文具の企画・販売のほか、句具として俳句アンソロジー「句具ネプリ」の発行、誰でも参加できるWeb句会「句具句会」の開催、ワークショップの講師としても活動。三菱鉛筆オンラインレッスン「Lakit」クリエイター。
2024年より俳句作品を日本語カリグラフィーで描く「俳句カリグラフィー」を、《編む》名義でスタートし、haiku&calligraphy ZINE『編む vol.1』を発行。俳句ネプリ「メグルク」メンバー。
デザイン会社「株式会社COMULA」コピーライター、編集者。1983年、岐阜生まれ。

note https://note.com/goma121/
X @goma121
Instagram @goma121 @amu_maiko



2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2024年10月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】
>>〔13〕曼珠沙華傾くまいとしてをりぬ 橋本小たか
>>〔14〕世直しをしてきたやうないぼむしり 国代鶏侍

【2024年10月の水曜日☆後藤麻衣子のバックナンバー】
>>〔1〕女湯に女ぎつしり豊の秋 大野朱香

【2024年10月の木曜日☆黒澤麻生子のバックナンバー】
>>〔1〕おとろへし親におどろく野分かな 原裕

【2024年9月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】
>>〔10〕寝ようかと思うてすごす夜長かな 若杉朋哉
>>〔11〕鈴虫や母を眠らす偽薬 後閑達雄
>>〔12〕虫売やすぐ死ぬ虫の説明も 西村麒麟

【2024年9月の水曜日☆進藤剛至のバックナンバー】
>>〔5〕生涯のいま午後何時鰯雲 行方克巳
>>〔6〕スタートライン最後に引いて運動会 塩見恵介
>>〔7〕つめたいてのひら 月が淋しくないように 田村奏天
>>〔8〕戦艦の生れしドック小鳥来る 稲畑廣太郎

【2024年9月の木曜日☆斎藤よひらのバックナンバー】
>>〔6〕彼岸花みんなが傘を差すので差す 越智友亮
>>〔7〕星座になれば幸せですか秋の果 このはる紗耶
>>〔8〕新蕎麦や全部全部嘘じゃないよ南無 佐藤智子
>>〔9〕黄落す光が重たすぎるとき 月野ぽぽな

【2024年8月の火曜日☆村上瑠璃甫のバックナンバー】
>>〔6〕泉の底に一本の匙夏了る 飯島晴子
>>〔7〕秋の蚊を打ち腹巻の銭を出す 大西晶子
>>〔8〕まひるまの秋刀魚の長く焼かれあり 波多野爽波
>>〔9〕空へゆく階段のなし稲の花 田中裕明

【2024年8月の水曜日☆進藤剛至のバックナンバー】
>>〔1〕そよりともせいで秋たつことかいの 上島鬼貫
>>〔2〕ふくらかに桔梗のような子が欲しや 五十嵐浜藻
>>〔3〕朝涼や平和を祈る指の節 酒井湧水
>>〔4〕火ぶくれの地球の只中に日傘 馬場叶羽

【2024年8月の木曜日☆斎藤よひらのバックナンバー】
>>〔1〕この三人だから夕立が可笑しい 宮崎斗士
>>〔2〕僕のほかに腐るものなく西日の部屋 福田若之
>>〔3〕すこし待ってやはりさっきの花火で最後 神野紗希
>>〔4〕泣き止めばいつもの葡萄ではないか 古勝敦子
>>〔5〕魔がさして糸瓜となりぬどうもどうも 正木ゆう子

【2024年7月の火曜日☆村上瑠璃甫のバックナンバー】
>>〔1〕先生が瓜盗人でおはせしか 高浜虚子
>>〔2〕大金をもちて茅の輪をくぐりけり 波多野爽波
>>〔3〕一つだに動かぬ干梅となりて 佛原明澄
>>〔4〕いつの間にがらりと涼しチョコレート 星野立子
>>〔5〕松本清張のやうな口して黒き鯛 大木あまり

【2024年7月の木曜日☆中嶋憲武のバックナンバー】
>>〔5〕東京や涙が蟻になってゆく 峠谷清広
>>〔6〕夏つばめ気流の冠をください 川田由美子
>>〔7〕黒繻子にジャズのきこゆる花火かな 小津夜景 
>>〔8〕向日葵の闇近く居る水死人 冬野虹

関連記事