俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第12回】高千穂と種田山頭火

【第12回】高千穂と種田山頭火

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

高千穂は宮崎県(旧日向国)の延岡市から五ヶ瀬川沿いの上流の大分・熊本県境にあり、北に祖母山、傾山を有する天孫降臨伝説の神話の地である。高天原、天の岩戸、雲海の眺めが素晴らしい国見が丘やⅤ字型の高千穂渓谷が名高く、高千穂夜神楽でも知られる。隣接する五ヶ瀬高原には日本最南端スキー場があり、南には山を隔てて歌人若山牧水の故郷である東郷町の尾鈴山も近い。

高千穂夜神楽(高千穂観光協会)

分け入つても分け入つても青い山   種田山頭火

降臨の日向すがしき月夜かな     阿波野青畝

鶯や天岩戸の上あたり        五十嵐播水

火を焚いて雲海を待つ国見かな          角川春樹

埋火の珠となるまで神楽宿      神尾久美子

荒縄のあらはに見ゆる里神楽     伊藤通明

秋風の果て牧水の尾鈴山       服部たか子

「分け入つても」の句は、種田山頭火の代表句として殊に有名。「解くすべもない惑ひを背負つて行乞流転の旅に出た」の前書がある大正15年4月22日の作。前年出家した熊本市近郊植木の味取観音堂守を捨てて行乞を始め、肥後街道・馬見原から五ヶ瀬を経て高千穂の滝下での作とされる。高千穂神社裏手には、昭和47年に山口保明等が建立した句碑があり、防府市生家跡地にもある。

高千穂狭(高千穂観光協会)

「いつも見える青い山は近づくと又次の青い山が向こうにある。いつもあるのに到達できない淋しさ、もどかしさ、どうにもならない気分」(金子兜太)、「句跨りとリフレインが眼目で旅が永久に続くかの様な安心立命の旅を象徴させる」(鷹羽狩行)、「〈原郷〉を得ない者のこのもどかしさは何だろう」(石寒太)、「禅でいう〈遠山無限碧層々〉と同様に心の惑いも無限に続き解くすべもない。そんな心象風景と実景が二重写しとなっている」(村上護)、「牧水の〈幾山河越え去り行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく〉と同様に旅=遍歴の気持ちに徹している」(山口保明) 、「人間の存在の微小と樹海の持つスケールの大きさ、深さが直截に感じられる」(富田拓也)等多くの鑑賞がある。

山頭火は、明治15(1882)年、山口県佐波郡(現防府市)生れ、本名は正一。地元有数の富豪であったが、父の遊蕩で十歳の折、母が井戸に投身自殺したことが、終生のトラウマとなった。旧制山口中学を経て早稲田大学に入学するも神経衰弱で退学、家業が傾く中、同42年に27歳で結婚。定型俳句の地元俳壇で活躍しつつ、荻原井泉水に師事し、その主宰誌「層雲」で自由律俳句を始めた。俳号「山頭火」は、燃え上がる火山、新しい文学への意欲を託したと言われている。大正5(1916)年、種田家は破産し一家離散。妻子を伴って熊本に落ち延び、市内の下通りで古書店(後額縁屋)「雅楽多」を開業した。家業を顧みず、文学立身の夢もあり、離婚後単身上京するものの芽は出ず、関東大震災後の混沌もあり帰熊した。

同13(1924)年には泥酔して市電をストップさせたことから禅門に入り、味取観音堂の堂守となった。

しかし、一年も満たず山堂独住の淋しさに倦み、堂を捨て一鉢一笠の旅に出た。「層雲」同門の尾崎放哉が小豆島で亡くなった直後の、同15年4月10日であった。

全国にわたり行乞放浪の旅を続け、昭和7(1932)年、第一句集『鉢の子』を上梓し、以後第七句集まで刊行。

旅の合間には山口・小郡の「其中庵」、その後山口・湯田温泉「風来居」の仮寓に住み、念願とした伊那の井上井月の墓に詣でた後の同14(1939)年、松山市城北の御幸山麓の「一草庵」に入った。翌十五年、前記七句集を集成した一代句集『草木塔』を上梓。10月10日、本人の希望通りコロリ往生(心臓麻痺)で逝去した。享年五十七歳。

句集『鉢の子』『草木塔』『山行水行』『雑草風景』『柿の葉』『孤寒』『鴉』他膨大な日記、書簡があり、自身で「悪筆の達筆」と称した身心脱落の書も見事である。

山頭火句碑―高千穂神社

「酒豪」ぶりもハンパでなく、本人曰く泥酔への過程は、「まず、ほろほろ、それからふらふら、そしてぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」であり、最初の「ほろほろ」の時点で既に三合に達する。酒と俳句については、「肉体に酒、心に句、酒は肉体の句で、句は心の酒」と語り、また「芭蕉や一茶のことはあまり考へない、いつも考へるのは、路通や井月のことである。彼らの酒好きや最期のことである」と両人への思慕を吐く。「出家して悟りを開くために歩き始めたが、だんだん歩くことが目的になった行動的な人間である。頭でなく、体を使って考え書くことから明るさが生まれて来る」(佐々木幸綱)、「行乞したゆえに俳句が出来、作句するために行乞した。その表裏一体が山頭火の世界であり、その放浪性は命がけで貫こうとの大いなる矜持による」(村上護)に尽きる俳人であるが、放哉より格別に心安らぐのは何故であろうか。

炎天をいただいて乞ひ歩く

鴉啼いてわたしも一人 (放哉墓前)

わかれきてつくつくぼうし

まつたく雲がない笠をぬぐ

酔うてこほろぎと寝てゐたよ

どうしようもないわたくしが歩いてゐる

うしろ姿のしぐれてゆくか

笠へぽつとり椿だつた

ひとりの湯がこぼれる

ゆふ空から柚子の一つをもらふ

鉄鉢の中へも霰

雪へ雪ふるしづけさにをる

あるけばかつこういそげばかつこう

水のうまさを蛙鳴く

うどん供へて、母よ、わたしもいただきまする

お墓撫でさすりつゝ、はるばるまゐりました(井月墓前)

いちにち物言はず波音

ひとりで焼く餅ひとりでにふくれる

もりもりもりあがる雲へ歩む

「うしろ姿のしぐれてゆくか」は、自己実現に価値を置く個人主義の現代人にとって一顧すべき思想を孕んでいる」(高柳克弘)も鋭い。句碑の数は五百基を超え、個人文学碑として最多を誇る代表的な国民的俳人である。人々を強く魅了し、憧れさせる不思議な何かがあるからだろう。

(「青垣」29号加筆再編成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


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