春ショール靡きやすくて恋ごこち
檜紀代
(『木染月』)
古代日本では、1年の始まりは春であった。桜の花が咲き始めると田畑を耕し種を蒔く。作物の成長から収穫、冬への保存に向けて長い1年が始まる。現代でも新学期は桜の咲く4月である。春は新しい生活のスタートの時期。入学式、入社式を終えたフレッシュな若者達が街を歩いている。そして冬の眠りから覚めた動物たちは発情期を迎える。歳時記には、鳥の恋、猫の恋などが春の季語として掲載されている。ヒト科の動物である人間もまた、春は恋人を探す時期である。
平安時代に編纂された『古今和歌集』の恋の部立は、恋の道順に従って配列されている。恋の始まりや片恋を詠む「恋一」、恋の駆け引きや障害を詠む「恋二」、恋仲となった後の狂おしい想いが「恋三」、恋のすれ違いや別れを詠む「恋四」、別れた恋人への想いを綴る「恋五」。恋にも春夏秋冬があり、「恋一」は圧倒的に春の歌が多い。季節が死と再生を繰り返す地上の営みであるように人の恋も季節の移り変わりにより変化してゆく。
よく言われることだが、春に始まった恋は夏に最高潮になり、秋に別れ、寒い冬を過ごす。「来年も一緒にこの桜を見ようね」などという約束は、恋心が季節とともに変化することを前提としているのである。長続きしない恋に悩むことはないのだ。毎年新しい恋をして、沢山の遺伝子を残すようプログラミングされているのだから。鶴や狼のように伴侶を変えない動物もいるのだが。
男性の恋の始まりは、見た目重視なのは良く知られている。一方で女性は匂いで反応するとも言われている。自分と相性の良い雄の匂いをかぎ分ける能力があるとか。感情のある生き物なので吊り橋効果と言われるきっかけもあるらしい。不安定な状況に置いて一緒にいた異性に惹かれる。これも納得できる。
とある女性俳人は、隅田川花火大会句会に出席するため、電車に乗っていた。すると同じ句会に出席する男性俳人が乗り込んできた。「次の駅で降りるのよね」などと言っていたら、花火大会の混雑の影響で電車が止まってしまった。動かない電車を降りて、一駅歩くこととなった。その間どんな会話があったのかは知らないが、思わぬハプニングに遭遇した二人は交際することとなり結婚した。友情から恋へ発展した運命のハプニングとでもいうのだろう。
また、恋愛科学者によれば、人は絶え間なく動くものに反応することもあるという。揺れるイヤリングや表情を変えるたびにうごめく髭など。確かに異性問わず気になって見てしまう。まるで猫じゃらしに反応する猫のようだが、人も野生の本能を宿して生きているのだ。大きなイヤリングをしている女性は好き者とか、髭を生やしている男性はいやらしいという俗信は、あながち嘘ではないのかもしれない。イヤリングは長時間付けていると耳が痛くなるが、人を引き寄せる魔力があるのであれば、ゆらゆら揺れるイヤリングをしてみるのも新しい恋のきっかけとなるだろう。
春ショール靡きやすくて恋ごこち 檜紀代
風に吹かれている春ショールは、美しい。軽やかな布地、柔らかな色合い。ひらひらとしたショールを纏った女性は十割増しで輝いて見える。思わず見とれてしまう。着用している女性もまた、首筋をくすぐるショールの肌触りに恋の本能が目覚めてゆく。
ショールは女性が纏うものという認識があるが、男性が纏うこともある。ショールを着こなす男性は、お洒落で格好いい。どこかエキゾチックな雰囲気がある。ある俳句のパーティーで呉服屋の若旦那が着物姿で登場した。これがまたイケメン。帰り間際、はらりとショールを纏った姿に女性達が卒倒したとか。どんなに内面重視と公言している女性でも、鷲とかライオンに憧れるように、大きな翼、豊かなたてがみには無条件で惹かれるものである。
春は出逢いの季節。出逢いが無い生活をしていても心が浮き立つ。人は、自分にないものに憧れる。男女問わず、春の空へ飛びたつような翼の代わりとなるショールを纏い、街を歩いたら良いのではないか。風に靡くショールは、まだ見ぬ新しい恋を引き寄せてくれるかもしれない。
(篠崎央子)
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】