あはゆきやほほゑめばすぐ野の兎
冬野虹
3月から2ヶ月間、火曜日の枠を担当させていただくことになりました。好きな句をたくさん紹介できるのはありがたく、うれしいです。どうぞよろしくお願いします。
「あはゆきやほほゑめばすぐ野の兎」
この句の作者は冬野虹(1943-2002)。1988年句集「雪予報」を刊行。没後の2015年に「冬野虹作品集成(四ツ谷龍編、書肆山田)」、2024年に「編み棒を火の色に替えてから 冬野虹詩文集」が刊行されている。
冬野虹の句には目の前でほどけてゆきそうな何とも言えない軽やかさと冬の白昼のようなりいんとしたあかるさがある。そういえば俳句が目の中で明るく鳴る、りいんとひびく気がする、という感じを初めて受けたのは冬野虹の句からだった。
この句ではただでさえ崩れやすい淡雪をひらがな表記することで、そのあかるさと一瞬性が強まるように思う。目の前の人は一瞬のほほえみだけを残して、兎になって目の前から駆けていってしまいそうだ。見つめている他者の視線からも、どこまでも自由になって、遠くに行ってしまうような。
昨年刊行された「編み棒を火の色に替えてから」によれば、飯島晴子は生前冬野虹を高く評価していたという。
二人の句には一見似たところはない。でも二人とも目の前にあるものではなく、焦点がこの世界から離れた場所にあって、その焦点に向かって届くように書いているように自分には思われ、そこに近しさを感じる。
冬野虹の句で特に好きな句は以下。どれもひらがなと漢字の開き方のバランスが絶妙に視覚的に心地良く、かつ音韻のよさもある。どれもあどけなくやわらかで、感触があり、底知れない。読むと遠くに行けそうでわくわくする。
鏡の上のやさしくて春の出棺
死より華やか海へさしだす真夏の掌
ひなの日の蓮糸ひかるねむりかな
生まれなさいパンジーの森くらくして
W・W・WATER夢の鞄のくにゃくにゃに
名を呼べば水玉のなか明るみぬ
俳句をさらに好きになる瞬間がときどきあって、それは他人の句に憧れてしまうときだ。冬野虹の句には、俳句をはじめたての頃から今までずっと憧れている。
(佐々木紺)
【執筆者プロフィール】
佐々木紺(ささき・こん)
1984年生、「豆の木」同人。2022年、第13回北斗賞受賞。2023年、「雪はまぼろし」20句で豆の木賞受賞。2024年、句集「平面と立体」刊行、島根「書架 青と緑」で展示「夜の速度」(山口斯×佐々木紺)。俳句一句の入った小箱「haiku souvenir」(紙屋)発売中。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
【2025年1月の火曜日☆野城知里のバックナンバー】
>>〔1〕マルシェに売る鹿の腿肉罠猟師 田中槐
>>〔2〕凩のいづこガラスの割るる音 梶井基次郎
>>〔3〕小鼓の血にそまり行く寒稽古 武原はん女
>>〔4〕水涸れて腫れるやうなる鳥の足 金光舞
【2025年1月の水曜日☆加藤柊介のバックナンバー】
>>〔5〕降る雪や昭和は虚子となりにけり 高屋窓秋
>>〔6〕朝の氷が夕べの氷老太陽 西東三鬼
>>〔7〕雪で富士か不二にて雪か不尽の雪 上島鬼貫
>>〔8〕冬日宙少女鼓隊に母となる日 石田波郷
>>〔9〕をちこちに夜紙漉とて灯るのみ 阿波野青畝
【2025年1月の木曜日☆木内縉太のバックナンバー】
>>〔5〕達筆の年賀の友の場所知らず 渥美清
>>〔6〕をりをりはこがらしふかき庵かな 日夏耿之介
>>〔7〕たてきりし硝子障子や鮟鱇鍋 小津安二郎
>>〔8〕ふた葉三葉去歳を名残の柳かな 北村透谷
>>〔9〕千駄木に降り積む雪や炭はぜる 車谷長吉