なく声の大いなるかな汗疹の児 高浜虚子【季語=汗疹(夏)】


なく声の大いなるかな汗疹の児)

高浜虚子


 父は78歳でこの世を去るまでほとんど白髪がなかった。母(父にとっては妻)を亡くした最晩年の3年間にちらほら見えてきた程度。毛量もあまり変化がなかった。皺やシミも年齢の割には少なく、見た目の年齢はずっと若かったのである。そんな父に唯一年齢を感じたのが声だった。ある日、大河が小川になったかのように声が細くなっていた。

 子どもの成長を感じたのも声。丸顔が長くなった時にもそれなりに感じたが、声が低くなった時には親子の距離感が変わっていくことを受け入れざるを得ず、衝撃を受けたものである。

 声には老いや成長のほか生き方も現れる。歌番組で往年のヒット曲を歌う声に張りがあると懐かしさよりも努力を怠らない姿勢への尊敬が勝る。ささきいさおはいつもすごい。

 ドキュメンタリー映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』は瀬戸内寂聴という存在によりかかることなく、中村裕監督の作品になっていて観に行った甲斐があった。たくさん笑い、美味しそうに食事をとる。そんな姿に説教臭さはない。

 最も感銘を受けたのは寂聴さんの声であった。99歳であれほどの声が出るのは尋常な生命力ではない。体力についてたまに本人による言及はあったが、ほとんど老いを感じることがなかったのは声の張りによるものといえる。

  なく声の大いなるかな汗疹の児     高浜虚子

 泣き声のサンプル集を作るなら赤ん坊の泣き声は外せない。大声で泣く汗疹の児には火の玉のような生命力を感じる。「児」は何歳とは特定されていないが、泣く以外に言語を持たない乳児とするとその声の爆発力が最大限に感じられる。泣いて泣いて泣き声でも汗でも収まらず汗疹となって現れているようだ。

 詠まれている題材としては「吾子俳句」と分類すべきところで、しかも当時虚子が61歳であったことを考えると孫俳句であってもおかしくない。それなのに甘さを感じさせないのは、かな遣いの妙によるところが大きい。冒頭がひらがな表記なので「どの『なく』だろう」と考えていると次第に「泣く」であることがわかり、フェードインで泣き声が聞こえてくる。中七を「かな」でとめている点も客観性に拍車をかけている。

 「泣」の字が冒頭に来たら泣いた句になってしまっていた。なおかつ「泣き声」としていたら、濁音が一つ増えてより「泣いた」表現になってしまっていたところだった。「なく声」としたことで句の「泣き」が回避された一方、「汗疹」の三水と病垂れは泣いている。かな遣いによって児を泣かせず季語を泣かせたのだ。

 声の張りは魂の張り。ある程度だが思うまま声を出すことが出来る日常を幸せに思う。

定本 虚子全集 第二巻』所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


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