裁判所金魚一匹しかをらず 菅波祐太【季語=金魚(夏)】


裁判所金魚一匹しかをらず

菅波祐太(愛光高校)
(第3回俳句甲子園最優秀句、2000年)

掲句は僕の生まれ年である2000年に開催された第3 30回俳句甲子園の最優秀句。一読、裁判所という無機質な空間に鮮鮮と浮かび上がってくる真っ赤な金魚を思わせる。一方で、人間同士の関係から生まれる利害のねじれを人間が裁くという裁判所のきわめて情緒的な実態を踏まえると、むしろ裁判所という特異な空間に渦巻く情念の結晶として漆黒の出目金を想起することもできよう。

俳句甲子園は当初、松山市内でのみ行われたイベントであった。掲句が生まれた第3回より三重県・岡山県・香川県といった県外からの参加を受け入れ、いわゆる全国大会の形をとるようになった。

全国大会としての俳句甲子園が広く認知されるようになって以来、俳壇では俳句甲子園”出身”という言葉がときおり用いられた。つまり、俳句甲子園を契機として高校時代に俳句と触れ合った書き手が俳壇に現れはじめたのである。神野紗希や佐藤文香をはじめとして、森川大和、山口優夢、村越敦、青本柚紀、青本瑞季、若林哲哉、岩田奎、中矢温…など、活躍する俳人は枚挙に暇がない(挙げきれなかった方、すみません)。

かくいう自分も俳句甲子園の”出身”であり、飲みの席などで話題にすることも多いのだが、そこでしばしば取り沙汰されるのが「継続率」である。これはパチンコの話ではなく、「俳句甲子園出身者の中で高校卒業後も俳句を書き/読み続ける者の割合」という話である。結論から言うと、この数値はきわめて低い。王者と呼ばれる開成高校ですら、出場した部員5人に対して1〜2人が続ければ上出来、といった比率のようである。

この問題はすなわち、俳句甲子園という大会が抱えるジレンマにほかならない。いかなる形であれ俳句と出会ってくれた人にさらなる俳句の世界を探検してほしいと思うのは大人たちの本音だが、一方の高校生たちにとってこれはあくまでも「俳句甲子園」なのである。野球の甲子園に出場した球児たちのほとんどがプロ野球や大学野球、社会人野球を選択しないのは彼らがひとえに「甲子園に出場し、そして優勝すること」を目指しているからだが、それと近い現象が俳句甲子園にも起こっているのだ。むしろ、俳句甲子園を俳句との接点と捉える大人たちの前提がすでにお門違いであると言ってもいい。俳句甲子園と俳句は、すでに独立した別個の問題なのである。

何が言いたいかというと、大人は「節度を持って」俳句甲子園と向き合っていきましょうということである(大いなる自戒を込めて)。事実として俳句甲子園の熱気には大人をも痺れさせる凄みがあるし、提出されるたくさんの句や悲喜こもごものトーナメント表を肴に飲む酒はこの上なく美味い。しかしこれらの事象は高校生を主役とする先の前提に抵触するし、そもそも俳句甲子園の側に立ってみれば雑音に過ぎない。楽しむにしても高校生と大会そのものへの過度な干渉は避けるべきだし、結社への勧誘や「これからも書き続けてね」というメッセージなどはもってのほかなのである。

最後に。この時期になると、いつも思い出す友人がいる。彼は自分と違う学校から出場していた同い年の選手であり、出身が近いことをきっかけとしてときどき俳句の話をする間柄であった。大学でそれぞれが東京に出てからは句会で顔を合わせるだけでなく、よく飲みに出かける友人となった。彼は俳句から少し離れ気味であったから、むしろ単に友人であったと言った方が良いかもしれない。2022年のはじめごろ、彼は自ら命を絶った。悲しみや無力感以上に、ただのしかかってきたその事実の重みだけがまだ背中に残っている。

ある日の夜、歌舞伎町で二人して泥酔してビリヤードをしたことがあった。ふらふらの僕たちは白球もまともに撞けず、笑いながら球を転がすことしかできなかった。あの時飲んだ砂の城はもうないし、僕のビリヤードもすっかり上手くなってしまったけれど、次に会う時はもう一回勝負しよう。

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
第19、20、21回俳句甲子園全国大会出場。



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