【第33回】新しい短歌をさがして/服部崇


毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都そして台湾へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。


【第33回】
「年代」による区分について――髙良真美『はじめての近現代短歌史』(2024、草思社)


今回、髙良真美『はじめての近現代短歌史』(2024、草思社)を読み、改めて、「年代」による区分について雑感を記してみたくなった。

本書において髙良は、先達が書いてきた短歌や評論を渉猟し、時代ごと、年代ごとに短歌の傾向を整理しようと試みている。短歌史を書くに当たって、髙良は、何を取り上げ、何を落とすか、に意識的であるように感じられた。特に、髙良は、これまでの短歌史の把握における女性の扱いについて批判し、フェミニズムについて正面から取り上げようとしている。しかし、今回は、こうした本書の内容には立ち入らない。

読者の便宜のために、Amazonの著者の「説明」欄にもそのまま掲載されている本書の目次をここに提示することをお許し願いたい。

[目次]
第一部 作品でさかのぼる短歌史
二〇二一年以降の短歌/二〇一〇年代の短歌/二〇〇〇年代の短歌/一九九〇年代の短歌/一九八〇年代の短歌/一九七〇年代の短歌/一九六〇年代の短歌/一九五〇年代の短歌/一九四〇年代の短歌/一九三〇年代の短歌/一九二〇年代の短歌/一九一〇年代の短歌/一九〇〇年代の短歌

第二部 トピックで読み解く短歌史
第一章 明治時代の短歌
短歌革新運動/東京新詩社『明星』の浪漫主義運動/根岸派の写実主義運動とアララギ派/自然主義/短歌滅亡私論

第二章 大正時代の短歌
アララギの乱調子/大正二年の衝撃/大正歌壇の様子/アララギの発展と離反者たち/
女性歌人はどこにいったのか/口語短歌の系譜/『日光』と口語短歌/歌の円寂する時

第三章 昭和の短歌1(~昭和二〇年)
伝統短歌/プロレタリア短歌/定型短歌のモダニズム/自由律短歌のモダニズム/
『新風十人』/戦争と短歌/戦場と軍隊と

第四章 昭和の短歌2(昭和二〇~三〇年代)
終戦直後の歌壇と第二芸術論/『人民短歌』と民衆/戦後派の新歌人集団/女人短歌会・女歌論/前衛短歌運動/六〇年安保と短歌/六〇年代の前衛と戦中派の再評価/戦後の女性歌人

第五章 昭和の短歌3(昭和四〇年代以降)
学園闘争世代の短歌/土俗論・回顧的な七〇年代/「内向の世代」の新人たち/七〇年代「女歌」論リバイバル/八〇年代女性シンポジウムの時代/ライトヴァースと消費社会の短歌/「サラダブーム」と歌壇の動き

第六章 九〇年代~ゼロ年代の短歌
俵万智以降の女歌論/短歌のニューウェーブ/冷戦崩壊前後の短歌と社会詠/ニューウェーブの受容と文体変革/世紀末・歌壇の膨張(ネットや朗読)/ポストニューウェーブと口語の深化/ゼロ年代歌壇の動きと論争/ゼロ年代の総括

第七章 テン年代以降の短歌
東日本大震災後の議論/学生短歌会と世代間の断絶/テン年代前半の歌壇論議/テン年代後半以降のフェミニズム

私は「心の花」2021年10月号の「時評」欄に「『年代』を捉えること」と題して、「短歌研究」誌上における吉川宏志「1970年代短歌史」の連載を取り上げた際に、次のように書いたことがある。ここに再掲する。

私 の 大 学 時 代 の 恩 師・ 佐 藤 良 明 は 著 書『ラ バ ー ソ ウ ル の 弾み か た ― ビ ー ト ル ズ か ら《時》 の サ イ エ ン ス へ』(岩 波 書 店、一九八九)で六〇年代に関する「時代研究」を試みた。執筆当時は八〇年代であったので、六〇年代が八〇年代にどのようにつながっているのかを示そうとした。〇〇年代を捉えようとする際にはその前のあるいはその後の年代との連続点と相違点を見極める必要があるようだ。例えば、同書は、一九五五年のアレン・ギンズバーグの「吠える」、いわゆるビート・ジェネレーションに言及している(二六八頁)。また、八〇年代の終わりにあって同書は「ドラッグを合法化せよという声も、《70年代》に比べると、まったく冷えてしまっている」(五六頁)と嘆いていた(服部崇「『年代』を捉えること」)。

「心の花」に書いた拙文では、「〇〇年代を捉えようとする際にはその前のあるいはその後の年代との連続点と相違点を見極める必要がある」と述べているが、今回は、これとは少し観点を変え、事象を括る際に〇〇年代と区分することの恣意性、偶然性に対する違和感を記しておきたい。

第一に、10年ごとに年代を区分するが、いつからいつまでの10年間となるかは偶然に過ぎない。髙良は、年代の区分について、西暦の〇〇年代として10年ごとに区切ることを行っている。本書では、ここに、和暦の明治、大正、昭和の〇〇年代がときに併用されている。こうした併用は本書に限ることではない。西暦、和暦を併用する日本人はふたつの〇〇年代をずらしながら同時に生きている。

第二に、〇〇年代より前に発生したことを取り込んでしまう恣意性が気になる。例えば、2011年3月11日の東日本大震災を取り上げ、短歌における当事者性を問題視することが2010年代の短歌の特徴とされることになる。仮に同レベルの震災が2009年に発生していたら当事者性を問題視することは2010年代の短歌の特徴と言えるのかなどと考えてしまう。これは、1960年代の特徴を1955年のアレン・ギンズバーグに求めることに対し恣意性を感じることと似ている。

第三に、〇〇年代の最終日までに何かが終わり、次の〇〇年代にはその何かは継続しない、とは限らない。実際には、〇〇年代が終わり次の〇〇年代が始まるとともに人々の意識が改まることもあるだろう。しかしながら、その年代の特徴とされる事象は次の年代へと継続することも多いように思われる。この点に関しては、たとえ前の年代の特徴が継続している場合でも、ピークは越え、下火になった、と整理すれば良いのかもしれない。

以上、髙良真美『はじめての近現代短歌史』を読んで改めて浮かんできた「年代」による区分に関する雑感を述べた。これは、髙良に対する批判ではなく、私にとっては今取り組もうとしている台湾の短歌を語るための前作業である。


前世紀で止まっていた「短歌史」という時計が、
ついに甦った。今が何時か、やっとわかった!――穂村弘

髙良真美『はじめての近現代短歌史』
草思社 、2024年

978-4794227089
336ページ ¥ 2,530


【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。X:@TakashiHattori0


【「新しい短歌をさがして」バックナンバー】
【32】社会詠と自然詠──大辻隆弘『橡と石垣』(2024、砂子屋書房)を読む
【31】選択と差異――久永草太『命の部首』(本阿弥書店、2024) 
【30】ルビの振り方について
【29】西行「宮河歌合」と短歌甲子園
【28】シュルレアリスムを振り返る
【27】鯉の歌──黒木三千代『草の譜』より
【26】西行のエストニア語訳をめぐって
【25】古典和歌の繁体字・中国語訳─台湾における初の繁体字・中国語訳『萬葉集』
【24】連作を読む-石原美智子『心のボタン』(ながらみ書房、2024)の「引揚列車」
【23】「越境する西行」について
【22】台湾短歌大賞と三原由起子『土地に呼ばれる』(本阿弥書店、2022)
【21】正字、繁体字、簡体字について──佐藤博之『殘照の港』(2024、ながらみ書房)
【20】菅原百合絵『たましひの薄衣』再読──技法について──
【19】渡辺幸一『プロパガンダ史』を読む
【18】台湾の学生たちによる短歌作品
【17】下村海南の見た台湾の風景──下村宏『芭蕉の葉陰』(聚英閣、1921)
【16】青と白と赤と──大塚亜希『くうそくぜしき』(ながらみ書房、2023)
【15】台湾の歳時記
【14】「フランス短歌」と「台湾歌壇」
【13】台湾の学生たちに短歌を語る
【12】旅のうた──『本田稜歌集』(現代短歌文庫、砂子屋書房、2023)
【11】歌集と初出誌における連作の異同──菅原百合絵『たましひの薄衣』(2023、書肆侃侃房)
【10】晩鐘──「『晩鐘』に心寄せて」(致良出版社(台北市)、2021) 
【9】多言語歌集の試み──紺野万里『雪 yuki Snow Sniegs C H eг』(Orbita社, Latvia, 2021)
【8】理性と短歌──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)(2)
【7】新短歌の歴史を覗く──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)
【6】台湾の「日本語人」による短歌──孤蓬万里編著『台湾万葉集』(集英社、1994)
【5】配置の塩梅──武藤義哉『春の幾何学』(ながらみ書房、2022)
【4】海外滞在のもたらす力──大森悦子『青日溜まり』(本阿弥書店、2022)
【3】カリフォルニアの雨──青木泰子『幸いなるかな』(ながらみ書房、2022)
【2】蜃気楼──雁部貞夫『わがヒマラヤ』(青磁社、2019)
【1】新しい短歌をさがして


挑発する知の第二歌集!

「栞」より

世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀

「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子

服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典


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