どこまでも誘はれゆくや秋日和 高濱虚子【季語=秋日和(秋)】


どこまでも誘はれゆくや秋日和

高濱虚子

秋晴れの日には、どこまでも歩いて行きたくなることがあります。
心地良い日差しや風に背中を押されるように、いつもより遠くまで足を延ばしてしまう。掲句も、そうした秋日和の心地良さを詠んだ句として読むことができます。

しかし、虚子は「どこまでも歩いてゆく」とも、「どこまでも行きたくなる」とも詠んでいません。「どこまでも誘はれゆく」と詠んでいます。
「歩いてゆく」ならば、自分の意思による行為です。「行きたくなる」ならば、自分の内側に生まれた欲求です。ところが「誘はれゆく」では、自分の外側から働きかける何かがあります。

この句は、昭和十一年十月四日、ホトトギスの「武蔵野探勝」の吟行で、神奈川県都筑郡中里村(現在の神奈川県横浜市の青葉区の一部と緑区の一部)の海外婦人協会農園を訪れた折の作です。同行者の山口青邨の記録によれば、この日、虚子は十六ミリの撮影機を携え、川沿いの野路を歩きながら、ところどころで狙いをつけていたと書かれています。

虚子は、ただ漫然と歩いていたわけではない様子です。
自ら対象を選び、捉えようとする眼を働かせていたことがうかがえます。
ところが句の中では、自分が何かを探し求めるのではなく、自分の方が誘われてゆく存在として詠まれています。
世界を見ようとする人間が、同時に世界から誘われる人間でもある。

掲句の「どこまでも」は、実際に歩いた距離を示しているとは限りません。どこまで行くかを決めずとも歩みが続いて行く。目の前の景色に心を動かされ、歩けばまた次の景色が現れる。世界からの誘いに、終わりが見えないと私は読みました。

そして、「誘はれゆく」という受動的な表現に、不自由さが感じられないことにも興味を持ちました。
誘われることは、強制されることではない。自分の意思を失うことでもない。むしろ、この句には、どこまでも誘われてゆける自由があります。

そもそも、吟行や逍遥において、私達はどこまで自分の意思で歩いているのでしょうか。

出かけようと決めるのは自分です。歩き始めるのも自分です。しかし、道の曲がり具合や、川の流れ、光の当たり方、ふと眼に入ったものによって次の一歩が決まることもあります。何かが気になって立ち止まり、別の何かに心を引かれて歩き出す。その時、歩いているのは確かに自分なのに、どこへ向かうかを自分だけで決めているとは言い切れない感じに気付かされました。

どこまでが自分の意思で、どこからが世界の誘いなのでしょう。
その境界は、必ずしも明らかではありません。

高濱虚子 編『武蔵野探勝』所収

(菅谷糸)


【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。


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