二ン月や鼻より口に音抜けて
桑原三郎
なんでも昔から「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」というそうで、ことに二月に入ってからの日の経つ早さには目を見張る。今日は十三日、月の前半がほぼ終了してしまったではないか。
俳句の世界では二月は「二ン月」と詠まれることも多い。私はどうもこの表記に抵抗がある。方言という説もあるようだが、どちらかというと「にんがつや」、「にんがつの」など音数合わせという便宜上使われているように疑っている。そもそも、一年でいちばん日数の短い月が悠長な名乗りを上げるのもどうかと思う。まあ、あくまで個人の感想であって、ひと様に共感を求めは致しません。
そんなことを書きながら掲句を取り上げるのは貶めるためでは勿論ない。
「ニンガツ」という言葉の「ンガ」の部分は鼻濁音になる。発音記号で表わせば[ŋ]。ただし、ガ行鼻濁音は主に東日本で使用されるものらしく、この発音要素のない地域も多いらしい。鼻濁音自体が姿を消しつつあるらしい。私自身だいぶ曖昧に使っている。
ともあれ、この句は「ニンガツ」という発音の鼻濁音に注目したもので、確かに二月という月には何かしら鼻から息が抜けるような雰囲気があるなあ、と感心したのである。感心した頭が少し後で回り出した。鼻濁音は鼻に音が抜けるのだ。掲句は「鼻より口に音抜けて」、逆ではないか。どういうことだ?と実践したところ、鼻から息を吸うようにして喉の奥で音を出すアレだった。「ングォッ」とか「フゴ!」とか、豚の鳴声を真似するときのような、いびきをかいていた人が自分でびっくりして目を覚ますような、あの音。実証のためとは言え、「ンゴッ」「ンガッ」「フゴッ」などの音を一人の部屋に何度も響かせるのは随分と馬鹿馬鹿しいことだった。そうするうちに、「二ン月だとぉ?」と眉を顰めていた自分自身も阿保らしくなってきた。ちまちました下手な考えを一蹴する―それがこの俳句の効用なのかもしれない。
(『夜夜』現代俳句協会 2013年より)
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
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