鏡台や猟銃音の湖心より
藺草慶子
祖母の部屋に黒檀の古い鏡台があった。
祖母は几帳面な人で、簡素な作りの鏡台にはいつ見ても埃一つついていない。三面鏡になっていて、鏡面は微妙に青みがかっている。私は祖母に育てられたので、小さい頃はその鏡台の近くでよく遊んでいた。
今思い返しても不思議なことに、祖母が鏡台の前に座っている記憶はない。おそらく孫に自分が化粧をする姿を見せることはしなかったのだろう。記憶の中に居るのはいつも、おそるおそる三面鏡をひらき、中を覗き込んでいる幼い私である。うす青い鏡の世界はどこかこの世のものではないようで、緊張した面持ちの私の背後には普段より少し暗い畳の部屋が広がっていた。
鏡台や猟銃音の湖心より 藺草慶子
鏡台はある種のメタモルフォーゼの場所であるように思う。鏡、という言葉以上に使用者のことがイメージされるし、秘密を覗き込むような背徳性を含んだ言葉である。掲句の鏡台には何が映っているのだろう。猟銃音は果たして現実のものなのか。本来静かなはずの湖心から死を伴った音が響いてくるという描写、そして湖面と鏡面の類似性が重層的に迫り、読み手の認識を混乱させる。飛躍した読みであることは承知の上で、私はこの音はある家の鏡台の裡から響いてくるものと信じているのである。
藺草慶子は山口青邨、斎藤夏風に師事。句は句集「野の琴」より引いた。
(川原風人)
【執筆者プロフィール】
川原風人(かわはら・ふうと)
平成2年生まれ。鷹俳句会所属。平成30年、鷹新人賞受賞。俳人協会会員
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