花いばら髪ふれあひてめざめあふ 小池文子【季語=花いばら(夏)】


花いばら髪ふれあひてめざめあふ

小池文子
(『木靴』)

幼い頃は、姉と一緒に眠ることが多かった。三歳年上の姉は、色素の薄い細い髪をしており、頬に触れるとさらりとして気持ちが良かった。姉は姉で、漆黒で光沢のある私の髪を羨ましがった。いつしか一緒に眠ることは無くなったが、今でも陽に透けるような色の長い髪を見ると姉と昼寝をしていた幼い日の甘い記憶が蘇ってくる。

高校生の時、ふとした切っ掛けで仲良くなった他校生の女の子がいた。よく喋る性格には似合わないシズカという名前だった。栗毛色の長い髪と彫りの深い色白の顔立ち、黙っていれば清楚で可憐な雰囲気の女の子である。地元のバンドマンの追っかけをしており、放課後になると有名私立高校の制服を脱ぎ、パンクロック風の服に着替える。私も一度だけライブに誘われたことがあった。シズカは、ボーカルのジンのファンだった。澄んだ声をした美形の男性でメジャーデビューの話もあったらしい。セミロングの髪型が女優の誰かを思わせた。私は、ウェーブヘアのギターのレイの方が好みだった。「紹介してあげる」と休憩中の楽屋に連れて行ってくれた。ボーカルのジンはファンの子に囲まれていたが、シズカが手を振ると「待ってたよ」と近づいてきた。二人が話しをしている間、手持ち無沙汰にしているとギターのレイが「来てくれてありがとう」と声を掛けてくれた。緊張しながらも「ギター素敵でした。海の底から奏でているような音色ですね」と答えた。「うわ、詩人だね。打ち上げ来てよ」。するとシズカが「ちょっと、私の友達を口説かないでよ」と言って割り込んできた。追っかけにしては、メンバーと親し気に話すシズカが眩しく見えた。ライブの熱気に押され、打ち上げまで付き合ってしまった私は、最終のバスを逃したため、シズカの家に泊まることになった。シズカは、豪農の家の娘で、広い敷地内の離れに部屋を持っていた。農具小屋を改装したらしく、一階には耕運機が置かれ、その二階に住んでいた。

「シズカは、ボーカルのジンと付き合ってるの?」「口説かれてはいるけど、まだかな。ジンの追っかけになったのは、半年前。最初は全く相手にされなかった。でもギターのレイとはすぐに仲良くなった。今年の春にね、レイにライブの練習を見に来て欲しいって言われたの。スタジオに行ったらジンが、君はレイの彼女なの?って初めて声を掛けてくれた。違うって答えたら、じゃあ、口説いてもいい?って聞かれて・・・。それ以来、ジンに口説かれるようになったの。でも、ジンには複数の恋人がいるから、私が一番になったら付き合おうって言っているんだ」。恐らくジンは、自分のファンだった女の子がレイに取られそうになったから、口説きだしたんだろうな。そう思ったが口には出さなかった。明け方近くまで、語り合って、一緒のベッドで眠った。姉と同じ髪質のシズカからは若葉の匂いがした。

それから間もなくして、シズカはジンと付き合い始めた。毎日が楽しそうで陽の色の髪は、彼女を光で包んでいた。が、ふた月ほどで破局。ジンの浮気が原因だったとか。シズカの失恋話を聞くために再び彼女の部屋で一夜を明かす羽目になった。ジンとの初体験の夜のこととか、ジンの髪がサラサラだったとか、泣きながら話されて困った。

そのシズカが、今度はレイと付き合い始めた。ジンの浮気を密告したのもレイだったから、最初からシズカを狙っていたのだろう。その年は、冷夏で7月に入っても20度前後の日が続いていた。偶然、駅前でレイに逢った。「シズカと付き合ってるんですよね」「え、あいつがそう言ってたのか?確かに、何回かデートはしたけれど、正直、迷ってる。ジンに振られたから俺に乗り換えたみたいで、ちょっと嫌なんだ」「でも、好きなんでしょ」「どうかな。ジンと付き合う前は好きだったよ。それも違うか。一途過ぎて、怖くなったっていうのかな。わがままで元気なシズカが好きだったんだけど・・・」。何気なくフェンスに寄り掛かったレイのウェーブヘアに野茨が絡みついた。慌てて髪を引っ張ろうとするレイを押さえて、絡みをほどいてあげた。野茨はまだ白い花を付けていた。「なんか、面倒になっちゃって。自分の気持ちがさ。好きだったから、ジンと付き合ったシズカが許せないだけ。男って勝手だよね。また、ライブに来てよ」。女心よりも男心の方が複雑だなと思った。ふと、ライブの夜にレイと私が話をするたびにシズカが割り込んできたことを思い出した。ジンは憧れの人だけれども、本当に恋をしたのはレイだったのかとか、単なる所有欲だったのかとか、シズカの想いも分かるようで分からない。恋から恋への乗り継ぎは野茨の花のようで、絡み合っては傷つけ合ってしまうのだ。

花いばら髪ふれあひてめざめあふ
小池文子

作者は、大正9年生まれ。旧名鬼頭文子。22歳の頃に石田波郷主宰の「鶴」に入会。のちに森澄雄主宰の「杉」同人。37歳の頃、画家の夫を追って渡仏。離婚後は、フランス人と再婚。「巴里俳句会」を主宰。第1回角川俳句賞受賞者である。平成13年、81歳で死去。

掲句は、渡仏前の句で独身時代に詠まれたと思われる。同時期に姉の子供を詠んだ〈絹糸草姉がめぐし子二人寝て 文子〉という句があるので、恋の句ではない可能性もある。「花いばら」は、野茨の花のこと。野に咲く白い小さな花弁は可憐な少女を思わせる。野茨を品種改良したものが園芸種の薔薇になったと考えられているため、処女性を感じさせる。「ぶんぶんぶん蜂が飛ぶ」の歌の野ばらのイメージも強い。野茨を摘んで疲れて眠る幼い姉妹を詠んだ句として理解することもできる。

一方で、〈つばな野や兎のごとく君まつも 文子〉という句もある。これは、恋の句だ。晩春に野を銀色に染める茅花。その丈に隠れるように野兎が居る。自分もまた兎のように身をひそめて君を待ち伏せしているのだ。見つけて欲しい気持ちもあるけれども、臆病な心情は、まさに兎のよう。恋の初めのときめきが伝わってくる句である。

〈花いばら〉が恋の句だとすると、初体験の朝の情景だろう。野茨の花言葉は「素朴な愛」。語り合い、見つめ合っているだけで満たされたほのかな恋は、ぎこちない夜を経て朝を迎えたのだ。髪が触れ合うほどの距離に目覚めた二人は白い朝の光りに包まれ、幸福という言葉を知ったに違いない。

終戦後、アメリカ文化に染まった昭和の時代、若い男性の間で髪を伸ばすのが流行った。髪の長い青年は、芸術家が多い。音楽家、画家、文学者など。フォークソング全盛期には、長髪の男性が街の女性の目を惹いた。甘い愛の言葉を奏でるその頬に掛かる髪は、美しい翳りを生んだ。男性が長髪でいられる期間は短い。夢を諦めて就職する際には、髪を切らなくてはならない。目覚めた時に触れ合うほどの髪の長さを持つ男性は、まだ夢を追う若者なのだ。お互いに野茨のような素のままの白さと刺を持ち、絡み合う。

掲句の恋の相手が、文子の最初の結婚相手であった画家だったとしたら、二人の間には、どんな物語があったのであろうか。旧制実践女子専門学校出身の文学少女であった文子と芸術家の恋。画家として夢を追う恋人は、30歳の頃、フランスに留学してしまう。「必ず迎えに来るから」とそんな言葉を残したまま5年の歳月が過ぎる。日本での生活を捨て夫に逢いに行く。当時の日本人女性が異国で暮らす決意をするのは並大抵のことではなかった。すでに俳人としての評価も受けていたのだから。

女学校時代にも恋はあったのだろう。終戦を迎えたのが25歳。戦時中に恋をするのかという疑問もある。林真理子の小説『天鵞絨物語』では、ヒロインの品子はハイカラな女学生。音楽家であるいとこの泰治と片想いの末に結婚。だが泰治は、大使令嬢の真津子を崇拝していた。福祉活動をする真津子が共産主義を疑われたため、それを助けるという名目で満州に渡ってしまう。戦後、真津子との間にできた子供を連れ泰治は戻ってくる。品子は、泰治のピアノを戦火から守れなかった代わりにその子供を引き取り育ててゆく決意をする。戦前から戦後にかけての物語なのだが、裕福な家庭に育った品子の恋が戦中戦後の貧しさを感じさせない。焼野原の東京で、泰治の子供の手を握り歩いてゆく品子には、初恋の男性との約束を守り通そうとする強さがあった。

財閥の息子である泰治は、戦時中でも少し長めの髪にシルクハットを被り、演奏会へ出かけてゆく。お嬢様育ちの品子は、夫のために手を荒しながらパンを焼く。戦争に染まってゆく世の中とは別世界のように新婚生活が描かれている。

文子は、そこまで裕福ではなかったのだろうし、戦中戦後にはかなりの苦労があったと想像される。日本が新しい時代へと突き進むなかでの恋だったのだ。画家の夫を追いかけてフランスに渡るも離婚。芸術家との恋は、いつの時代でも困難が付きまとう。フランス人と再婚した時は40歳を過ぎていたと思われるのだが、そのロマンスも想像すると胸が高鳴る。師匠であった石田波郷の死を乗り越え、異国の地で故郷を想い俳句を詠み続けた文子。〈凱旋門見えて朝市菊芋も 文子〉〈春寒やセエヌのかもめ目ぞ荒き 文子〉のような海外詠は、今も新しさを感じさせる。〈逢ふことをいのちと知るや春の雁 文子〉〈六月の椎や男はかぐはしき 文子〉〈さんさんとミモザかかえて夫帰る 文子〉。恋のために渡った異国で、また新しい恋をした作者。夢を追う男を追いかけた女流俳人は、何歳になっても野茨のように素朴で自由な女性であり続けたのだろう。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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