睡蓮のまどろみアダムとイブになる 瀬戸優理子【季語=睡蓮(夏)】


 恋の句は、結婚してからもつづく。夫を追って北海道に移住し二人だけの生活が始まる。恋のときめきだけでなく戸惑いも含めて〈どきんどきんと〉したのだ。生ゴミとか米研ぎとか、生活に染まっても恋心は褪せない。夏痩せした夫も愛おしい。蜜柑を買い過ぎるほどの愛情は、十年経っても変わらない。

   初蝶や胎の子の性告げられて
   蛇穴を出て産道の開きゆく
   みどりごのゆびをはみだす茄子の馬
   やいゆえよ雪虫舞えば子も舞いぬ
   ランドセル走る桜前線より速く
 結婚後間もなく子供にも恵まれる。妊娠、出産、子育ての句も臨場感がある。〈初蝶〉〈蛇穴〉などイメージが湧きやすい季語との取り合わせが見事である。みどりごと祖霊を運ぶ〈茄子の馬〉の意外な接続。〈雪虫〉の句からは、雪虫の動きも子の動きも見えてくる。ランドセルを背負って走る子の躍動感。子育ての喜びが伝わってくる。

   象消えて象使い消え夕花野
   凍蝶や紙切れほどの殺気あり
   溺愛の果新月の雪うさぎ
   抱き枕春三日月とすり替わる
   天の川いのち優しく手洗いす
   永き日のピカソの青に浸かる四肢
 恋の句の名手として名高い優理子さんであるが、詩情性の高い句を詠むことでも知られている。〈象〉の句は、サーカス団が去った後の景を詠んだのだが、忽然と消えたような不思議な感触が残る句である。二句目は、凍蝶に感じる殺気を〈紙切れほど〉と描写する。三句目の〈新月の雪うさぎ〉が〈溺愛の果〉だという幻想的なリアル。〈抱き枕〉が三日月のようになったとは言わずに〈すり替わる〉と表現する技術。〈天の川〉から展開される〈いのち優しく手洗いす〉という表現性の高さ。〈ピカソの青に浸かる四肢〉も感覚的表現である。

   分身として白鳥を抜け出しぬ
   天命を拝受ダイヤモンドダスト
   シリウスを心臓として生まれけり
 魂は白鳥の形をしていると言われているが、作者にとって白鳥は自分自身なのであろう。そこから抜け出した自分は分身なのである。そして天命を拝受する。〈ダイヤモンドダスト〉は北海道で見られる現象で、美しくも過酷な気候条件により生じる。〈シリウス〉の句は、青白い星を自身の心臓として捉えることにより天命の重さを感じさせる。北海道という大地に居なければ生まれなかった壮大な句である。

   気を抜くと告白になる夕櫻
 「あとがき」によれば「本来は、想いを口に出して伝えるのは苦手」とのこと。気を抜くと告白をしてしまいそうだから「慎重に生きている」。だけれども「俳句を書くときは、すこし自由に」なるらしい。優理子さんの恋の句が時にリアルで時に冷静なのは、気を抜かないからなのかもしれない。自由であること、慎重であることは、恋だけでなく、俳句を詠む時にも大切なことである。

   睡蓮のまどろみアダムとイブになる   瀬戸優理子

 掲句は、句集の最後の章に収められている。お子さんも小学生になり、夫とも十年愛に近い頃である。作成年代順の配列ではないとのことではあるが、句集から作者の物語を汲んでゆくと、結婚生活の一場面を詠んだ句ということになる。睡蓮がまどろむ池を楽園にみたて、自分達夫婦をアダムとイブにみたてたのだ。北海道という真っ白い大地に根を下ろし、家族を作り、明りを灯して生きている。夫と自分はまさに創世神話のアダムとイブのようだ。池の上に広がる睡蓮の危うさもまた楽園に似ている。そして、エロスの句でもある。楽園のアダムとイブは、無花果の葉をまとっただけの裸だったのだから。睡蓮がまどろむ頃、アダムとイブのように愛し合ったのだ。だから掲句は恋の句なのである。

 句集には、結婚、出産後も恋の句が散見される。何れも共感できる肌感覚の句である
   さくらさくら想うだけで満ち足りる
   着ぶくれの純愛どこか焦げている
   別れ難し缶コーヒーに暖を取る
   間違えないで好きなのは金木犀
   仲直りしたくておでん温める
 〈さくらさくら〉の句は、〈想うだけで〉とあるので、相手のことを考えるだけで幸せな気持ちになれる恋心を詠んでいる。恋の絶頂期には誰しも体験したことがある感情だ。〈着ぶくれ〉の句は、〈純愛〉で膨らむ心、熱く恋焦がれる心の危うさを詠む。愛し過ぎるのは良くない。〈別れ難し〉は、回想か、それとも淡い恋でもしたのか。寒いなか、もう少し一緒にいたくて缶コーヒーを握るのがリアルである。〈間違えないで〉の句も、思わず「好き」と言ってしまい金木犀のことだと言い訳をするような青春性のある句である。〈気を抜くと告白になる夕櫻〉の続きのような句だ。〈仲直りしたくて〉は、夫とのことともとれるが、独身時代の回想ともとれる。句集の要所要所にときめきを孕む恋の句を挟むことで、飽きさせない内容になっている。

 句集全体を通して、身体感覚の句が目を惹く。
   夏シャツの乳房で伸ばす畳み皺
   夕端居おへそきれいにしたかしら
   肩紐が滑りたがるよ十三夜
 〈乳房〉〈おへそ〉〈肩〉とセクシーさを持ちながらも無邪気である。無邪気さが若さなのだ。弾けるような瑞々しさを感じさせる。

   十六夜の枕どこまでも沈む
   朧夜の背中のファスナー引っかかる
   水を出て一糸纏わぬ新豆腐
   鬼薊人恋しさに濡れている
   刺激して蛍袋となる細胞
 〈枕〉〈ファスナー〉〈一糸纏わぬ〉〈濡れて〉〈刺激〉など、どきりとするような艶っぽい言葉も恋に触発されて生まれた表現であろう。艶っぽい表現により詩情が生まれてゆく。

 最後に岸本マチ子氏の素晴らしい帯文を紹介したい。

   どっきんどっきんと夫を追って
   あなたは北海道の大自然に呼ばれたのです
   〈夏シャツの乳房で伸ばす畳み皺〉
   そんな貴方はいまや純度100パーセント
   あなたを
   生きているのです

 まさしく句集『告白』は、「純度100パーセント」。ありのままの想いを托した句集なのだ。夫と二人で北海道という楽園に渡り、アダムとイブになって子孫を産み、愛を伝える俳句を残したのだ。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。



【篠崎央子のバックナンバー】
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