街の縮図が薔薇挿すコップの面にあり 原子公平 【季語=薔薇(夏)】


街の縮図が薔薇挿すコップの面にあり

原子公平

「花の女王」と呼ばれるのも当然といった気品、風情でもって、堂々としたものだ。薔薇はいまの時分、馥郁として凛と咲き誇っている。道などを歩いていて、垣根に薔薇が咲いていたりすると、立ち止まってしばしうっとり眺めてしまう。 

 佐藤春夫の「病める薔薇」または「田園の憂鬱」には、自分の心を代弁してくれるような、こんな一説がある。 

 「薔薇は、彼の深く愛したものの一つであった。さうして時には「自分の花」とまで呼んだ。何故かといふに、この花に就ては一つの忘難い、慰めに満ちた詩句を、ゲエテが彼に遺して置いてくれたではないかーー「薔薇ならば花開かん」と。又、ただそんな理屈ばつた因縁ばかりではなく、彼は心からこの花を愛するやうに思つた。その豊饒な、杯から溢れ出すほどの過剰的な美は、殊にその紅色の花にあつて彼の心をひきつけた」

 薔薇といえば更に思い浮かぶ、ヨーゼフ・ボイスとなると、”We cannot do it without roses.”ということになる。そうなのだ。薔薇がなくちゃ生きていけないのだ。 

 季語は薔薇。「浚渫船(1955)」に収録。「和音模索 一九四六ー一九四八」と題された章のなかの一句である。昭和21年から23年といえば、戦火の記憶も生々しく、黒澤明の「素晴らしき日曜日(1947)」「酔いどれ天使(1948)」などに見られるように、至る所焦土、瓦礫の山といった風景が広がり、愛とか希望とかいったものが希求されてもいた。

 小石川原町にある木造のアパートの一室、窓に近いところに箪笥が置かれてあり、箪笥の天板には普段なにも置かないが、アパートの玄関脇に咲いていた薔薇が一輪、水を満たしたコップに挿してあり、殺伐とした部屋に芳しい甘い香りが漂っている。あまりにも殺風景な部屋のありように、時々不平を漏らしていた母への一時の慰めのつもりだった。

 アパートの二階の部屋の窓からは、敷地内の大きな欅が見える。この欅は爆撃を受けて、まったく枯れてしまい、青い蔦が鬱蒼と這っている。青蔦の上へ上へと這っていくさまは、戦後の開放的な空気のなかで、一際輝き、生命力の謳歌を誇っているかのようだ。欅の向こうは焼け跡が広がり、焼け残った商店や細々とした家並が続いている。

目の高さに置かれたコップに薔薇が斜めに挿してある。水面から上の茎と水中の茎と、茎一本分だけずれて見えている。光の悪戯だ。水の中に焼け跡と家並が、湾曲して押し合いをするように並んでいる。コップの中の街。コップを持ち上げて、ぐるりと半回転させると、景色が円筒状に移動する。縮図。最近出版されたばかりの徳田秋声の小説のタイトルが浮かぶ。これもまた縮図ではないか。そう気がつくと、いよいよ色合いを深め真紅の薔薇の一輪挿しと焼け跡の街並みが、なにかしら活気を秘めているように思えてきて、楽しげな気分に捉われ、甘い香りの湾曲した街を飽かず眺めては、ぐるりとコップを回転させたりもしたのだった。三十歳はすぐそこに迫ってきている。

中嶋憲武


【執筆者プロフィール】
中嶋憲武(なかじま・のりたけ)
昭和35年(1960)東京生まれ。
平成6年(1994)「炎環」入会。作句をはじめる。 平成11年(1999)「炎環」新人賞。
平成12年(2000)「炎環」同人。
平成21年(2009)炎環賞。炎環エッセイ賞。
平成29年(2017)銅版画でANY展(原宿)参加。電子書籍「日曜のサンデー」。
平成30年(2018)攝津幸彦記念賞優秀賞。
平成31年(2019)第0句集「祝日たちのために(港の人)」。 「炎環」「豆の木」「豈」所属。
山岸由佳さんとの共同サイト「とれもろ」toremoro.ne.jp
「週刊俳句」で西原天気さんと「音楽千夜一夜」連載中。

祝日たちのために
中嶋憲武 著
(港の人、2019年)
価格 1650円(税込)
ISBN 978-4896293623

2018年、第4回攝津幸彦記念賞・優秀賞を受賞した気鋭の俳人の、句(120句)+銅版画(13点)+散文(17篇)を収めたユニークな第一句集。句は2018年にツイッターで呟いたツイッター句であり、時代の風景にスリリングに迫っている。

■収録作品より
蟻塚を越え来て淋しい息つく
夏炉あかるく人語に星を数へ得ず
海の鳥居の晩春の石は鳥になる
手が空いてゐる月白の舟を出す
葛湯吹いて馬の体躯の夜がある


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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