
鉄棒にパーカー掛けて運動会
小林鮎美
小学校高学年までは毎日鉄棒や雲梯にぶら下がっていたので、手のひらの親指以外の4本の指の下には常にまめがあった。
「まめ」は本来水ぶくれを伴うので正確には「たこ」と呼ぶべきなのだが私の周囲ではそれを「まめ」と呼んでいた。それがあまりに常態化していたので手のひらには「まめ」が必ずあるものだと思っていたのだが、大人になってみると「まめ」はすっかり消えている。何にもぶら下がっていないのだから当然だ。
それでも中指の下には「まめ」の名残があるような気がしてならない。ぶら下がるまではいかなくても荷物を持つくらいのことはあるのでかすかながら「まめ」と呼びたい「たこ」が出来上がっているのかもしれない。
鉄棒にパーカー掛けて運動会
運動会といっても学校や地区のそれではなさそうだ。
数人で公園に来た。なんとなく語っているうちに1人がトレーニング用の器具で懸垂ができるかと言い始める。言い出しっぺは5回ほどできたが、他の面々は1回できるかできないか。
「日頃鍛えているんだろう?自分の得意なことだけで勝負するのはずるいぞ」
「だったら君が得意な分野で勝負しようか」
「ようし、だったら短距離走だ。この公園を一周しよう」
そんなやりとりの末、仲間同士本気の勝負が始まるのだ。この勝負が短距離走だけで終わるはずがない。障害物競争、騎馬戦的な何か、しめくくりはダンスか、あるいは長距離走か。落語家が羽織を脱ぐように、本気モードになった時鉄棒にパーカーをかけたのだ。
きっかけとなったやりとりについて、二人称に引っ張られて口調が少々古臭くなってしまったのはご容赦を。
運動会というと生徒をはじめとした参加者、保護者、先生、地域住民などの視点に自ずから限定してしまいがちだが、この句では全く違うものとして鑑賞した。自分たちだけの運動会。そんなものが開催されてしまうのも秋の澄んだ空気感があるからこそ成立するのだ。
歳時記の説明を守るのだとすると、運動会は学校や地区で行われているものととらえるべきだろう。子どもの運動会を見に来た親や兄弟が鉄棒にパーカーをぶら下げて運動会を見ている。なくもない情景だが、その読みは私には魅力的ではない。
自分たちだけの運動会。そんなことがあったという話を聞くだけでもワクワクしてしまう。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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