木枯らし俺の中から出るも又木枯らし
平田修
(『血縁』1994(平成6)年ごろ)
先日、「木枯らし1号」が吹いたというニュースがあった。気象庁が木枯らしと認める条件は以下のようなものであるという。
・期間は10月半ばから11月末までの間
・気圧配置が西高東低の冬型となって、季節風が吹くこと
・東京における風向が西北西~北
・東京における最大風速が、おおむね風力5(風速8m/s)以上
よくわからない。とにかく北寄りの強い季節風のことを木枯らしと呼んでいるのかな、というくらいの認識で十分だろう。確かにここ数日は急に寒くなったものだから、タンスの奥に眠っていた長袖を引きずり出すのも難儀であった。僕は毎朝自転車で通勤しているので顔も乾く。バラクラバ(強盗が被る目出し帽)の購入を真剣に検討するほどである。
木枯らしといえば、小泉今日子の「木枯しに抱かれて」を思い出す。僕がこの曲を初めて聴いたのは、作曲者である高見沢俊彦が属するTHE ALFEEによるカバー版であった。改めて原曲を聴いてみると、カバーにあたってかなりのアレンジが加えられていることに気づく。原曲はアイリッシュ風の音作りがベースとなっており、間奏ではバグパイプの音すら鳴っている。それでもポップスとして自然に聴けてしまうのは流石というほかない。高見沢は「小泉が年齢を重ねても歌えるスタンダード・ナンバーにしたい」として作曲したそうだが、納得の仕上がりである。
とはいえ、それでも僕にとっての「木枯しに抱かれて」はALFEE版なのである。バグパイプもいいけど、たかみーのギターだから落ち着くのだ。あらゆるメロディーには、坂崎さんの下ハモがついてきてほしいと思う。桜井さんのベースラインがあってはじめて、音楽は音楽となるのである。何を言っているのか?
掲句の木枯らしは己からも発せられる。吹く木枯らしは自分の身体に入り込み、濾過を経て再び世界に吹きつける。身体を媒介に木枯らしが出入りする様子は、風がときおり小さな竜巻を作り出すのに似ている。思えば体液も思考も、身体という器の中で循環している。そういう意味で、私たちは皆それぞれが一本の小さな竜巻であると言える。風に吹かれるばかりでなく、風を起こすことだってできるのである。
※この文章は苛烈な二日酔いの状況下で執筆されました。良く言えば実験、悪くいえばただの不摂生です。敗因はビールとハイボールを飲みつづけた後の2軒目で赤ワインに移行してしまったこと。ちゃんぽんはいけないという古来からの教えにはちゃんと意味がありました。
(細村星一郎)
【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
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