ものの芽や年譜に死後のこと少し 津川絵理子【季語=ものの芽(春)】

ものの芽や年譜に死後のこと少し

津川絵理子


私が所属する結社「南風」は、「生きる証としての俳句」を標榜している。これは南風の初代主宰である山口草堂が提唱したものであるが、「生きる証」とは一体何なのだろうか。そもそも、自分が生きていること自体、どのように証明できるだろう。極論を言えば、生まれ落ちた瞬間から死が規定された存在であればこそ、逆説的にその生が証明される。今、死なずに俳句を作っているから、自分は生きているのだというわけである。

もっと言うと、死を身近に意識するからこそ、「生きる証としての俳句」が実現できるのだと思う。山口草堂から主宰を継承した鷲谷七菜子は、二十八歳の時に睡眠薬を多量摂取し、二尊院の境内の草むらに身を横たえて自死を図った。鷲谷七菜子の跡を継いで主宰に就任した山上樹実雄は病床に伏せがちで、特に晩年において死を意識した句が散見される。また、津川絵理子は、「南風」90周年記念座談会で次のように述べた。

(前略、『俳句以外で自身に強く影響を与えたものは何か』という質問に対して)私も考えてみたんですけど、家族を含めて今まで出会った人とか、出来事、読んだ本とか観た映画とか、そうしたもの全てから私はできているんじゃないかって気がするんです。その他に一つ挙げるとすれば、母の死かな、と思います。母が、私の生後一か月ちょっとぐらいの時に死んだんです。一番大きな存在を人生の初めに失うことは、すごく大変で、大きなことだったんだと、最近になってようやく気がつきました。今までは、親がいなくても子は育つと思っていたし、祖父母に育てられて私は生きてこられたと思っています。今あるもので私は出来てるって思ってたんですけれど、実は、失ったものが私を作っているのかもしれないです。だから、死というものが、私の人生にとって大きいかな。そういえば、子供の頃、私の人生は始まらずに終わるんだとか、もう私の人生は余生なんだと感じていた節があって。ちょっと後ろ向きに生きてきたようです。そういうのは治らないけれども、ようやく、喪失したものを離れたところから見つめられるようになった気がします。

掲句は、句集『夜の水平線』に収録された一句である。当人の預かり知らぬところで紡がれる死後の年譜。「ものの芽」という季語は、それが新たな何某かの始まりを予期させるものでありながら、「少し」の範疇に留まってしまうものであるという「あはれ」を感じさせる。自分の死後はどうなのだろうかという仄かな夢想も垣間見える。また、津川絵理子が実母をはじめとする喪ってきた存在たちの「死後」を生きてきたと思えば、一入の味わいがあると言えよう。

ところで、現「南風」主宰の村上鞆彦はどうだろう。僕が知る限りでは、死を詠んだり、喪失体験を語ったりしたことはない人である。村上鞆彦が死を身近に感じ取ったとき、どのような言葉が紡がれるのか気になって仕方がないが、その期待は弟子としてのエゴなのかもしれない。

 幸福も別れも愛情も友情も
 滑稽な夢の戯れで全部カネで買える代物
 明日死んでしまうかもしれない
 すべて無駄になるかもしれない
 朝も夜も春も秋も
 変わらず誰かがどこかで死ぬ
 夢も明日も何もいらない
 君が生きていたならそれでいい
 そうだ本当はそういうことが歌いたい

俳人としての私を支えるカンザキイオリの楽曲『命に嫌われている』の一節である。これからの二ヵ月、現代に生きて俳句を詠む者としての実感を、極めて私的に語らせていただこう。

(若林哲哉)


【執筆者プロフィール】
若林哲哉(わかばやし・てつや)
1998年生まれ、「南風」同人(編集部)。第14回北斗賞受賞。第一句集『漱口』、鋭意制作中。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2025年3月のハイクノミカタ】
〔3月1日〕木の芽時楽譜にブレス記号足し 市村栄理
〔3月2日〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
〔3月3日〕走る走る修二会わが恋ふ御僧も 大石悦子
〔3月4日〕あはゆきやほほゑめばすぐ野の兎 冬野虹
〔3月5日〕望まれて生まれて朧夜にひとり 横山航路
〔3月6日〕万の春瞬きもせず土偶 マブソン青眼
〔3月8日〕下萌にねぢ伏せられてゐる子かな 星野立子
〔3月9日〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
〔3月10日〕逢ふたびのミモザの花の遠げむり 後藤比奈夫

【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩
〔2月22日〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
〔2月23日〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
〔2月24日〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
〔2月25日〕時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子
〔2月27日〕お山のぼりくだり何かおとしたやうな 種田山頭火
〔2月28日〕津や浦や原子爐古び春古ぶ 高橋睦郎

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