温め酒女友達なる我に
阪西敦子
(『金魚』)
作者は昭和52年生まれ。7歳の頃から祖母の影響で「ホトトギス」に投句。稲畑汀子に師事。20歳の時には山田弘子主宰「円虹」にも所属。上智大学ではフランス文学を専攻し、フランス国立ボルドー大学に一年間留学した。
敦子さんと初めて出会ったのは、「ルート17」という若手俳人の超結社句会であった。結成当時は全員が20代で皆、若い時から俳句を詠んでおり、知識も豊富で確かな表現力を持っていた。総合誌の若手特集では、メンバーの多くが名前を連ねた。あれから約20年。皆、中堅俳人として活躍中だ。今でも会えば、20代の頃に戻ってふざけ合う仲である。
「ホトトギス」というと写生とか伝統俳句というイメージがある。敦子さんは、様々な句会に顔を出されていたためか、句会ではかなり柔軟な句を詠んでいた。時には、恋の句なども披露し、句座を盛り上げた。「ルート17」の仲間は、30歳を過ぎても結婚しない男女が多く、飲み会では恋の話が飛び交った。敦子さんの恋の話はいつも控え目であったと記憶している。竹を割ったような明るい性格で俳句一筋のキャリアウーマン。着物姿でハンバーガーを齧っていても自然に見えてしまう不思議な魅力があった。男女誰からも好かれるタイプである。どろどろの恋愛が好きな私は、敦子さんの微妙な恋に対し「早く押し倒してしまいなさいよ」などと助言をしたこともある。またある時は「央子は恋人がいるのに何故、他の男を口説くのか」と叱られたこともあった。
令和6年3月、句歴40年にして第一句集『金魚』を出版。句集は、第2回稲畑汀子賞奨励賞を受賞した。巻末近くに収録されたジュニア時代の句が微笑ましい。敦子さんの自在な表現は、ジュニア時代の感性を持ち続けているからでもあろう。
さて、その力作『金魚』より恋の句を抜き出してみた。
焼酎を濃く好きだつた日の話
秋の灯や吾が影いつも汝に触れて
春寒や歩幅の違ふ人とゆく
今年またバレンタインの前日よ
スカートが赤くて泣いた日の盛
濃く割った焼酎に酔いながら、「実は、好きだったのよ」などと語ったのだろう。終わったからこそ言えることなのだけれども、話せばときめきも蘇ってくる。秋の灯に照らされているのは自分だけで、その影はいつも相手に触れている。影でしか触れることのできない距離が切ない。春寒の句も、同じ歩幅で歩くことのできない関係が見えてくる。バレンタインの前日は、本来であれば心が浮き立つのであるが、〈今年また〉という表現から、去年もその前の年も想いが伝わらなかったことが分かる。スカートの句は、少女の頃のことだろうか。お気に入りのスカートを着て出かけて行ったのに、傷つく出来事があったのだ。〈泣いた〉という口語調が微笑ましい。これらの片恋の表現は、処女性を感じさせ文学的である。文学における乙女の恋は幸せであってはならない。届かないものを描いてこそ、詩情が立ち上がるのだ。
大人の距離感をしっかりと描いた句もある。
牡蠣買うて愛なども告げられてゐる
肩と肩触れて青葉をくぐりけり
風に肩抱かれて夜や巴里祭
エロスを感じさせる〈牡蠣〉は、誰のために買ったのか。〈愛なども〉という表現から、深い仲ではなく挨拶程度の会話なのだろう。嘘か本当か分からない「愛してるよ」に対し、軽くいなしている姿が見えてくる。肩と肩が触れ合うほどの近さでくぐる青葉。瑞々しい葉は重なり合い、その暗がりから密接な恋が生まれたのだ。相手はいつしか風となり自分に寄り添い、巴里祭の夜を迎える。これらの大人の恋の流れには、フランス映画のような香りが漂う。
水中花今宵叫びてゐるごとく
秋雨のはじまりの砂そして海
言ひ訳のごとくに卓の胡桃かな
風呂吹を箸に冷まして家族欲し
恋の表現をしなくても、どこかで恋を感じさせる描写は、さすが「ホトトギス」の重鎮、写生王だ。水中花の開いている花は、言われてみれば叫んでいるようにも見える。〈今宵〉という特別な夜の感情を水中の一花に託している。〈秋雨のはじまり〉は、きっと恋の始まりだ。足を沈ませる砂があり、その先には溺れるための海が広がる。言い訳は、お互いの些細なすれ違い。恋が深まれば胡桃のような頑なさも見せ合う。でこぼこの硬い胡桃の内部は、いつかの部屋に分かれていてぎっちりと実が詰まっている。だが、男の言い訳など所詮は、胡桃ほどのものであり、そんなもので誤魔化されてはいけない。風呂吹大根は、家庭的な料理。一人で味わうのは淋しい。料理の得意な作者は、上手に作れた風呂吹の熱を冷ましながら、「あの人と一緒に食べたい」と思ったのだ。箸に摘まんだ大根にふうふうと息を当て、「あーんして」と言ってみたくなったのだろう。
恋の句ばかり紹介したが、『金魚』の見所は、恋の句ではない。景に対する独特の視点や描写力にある。天性の明るさがその作風に現れている。
日に風に負けて渓蓀の咲き続く
いい服を着てとてもいい枯野行く
初茜マンボウは何かの途中
木はオリーヴ夏雲のいづこより
ラガーらの目に一瞬の空戻る
凛とした花として描かれるはずの渓蓀を〈日に風に負けて〉と捉え、それでも咲き続くしたたかさを詠む。侘びしいはずの枯野に〈いい服〉を着て歩き、〈いい枯野〉と言われれば、そんな気がしてしまう。水族館のマンボウは、一定の場所にとどまり進まない。それを自分自身に重ね合わせ〈何かの途中〉と表現した。前進はしないが、処理すべきことが多すぎて、何もかも途中で滞っているのだ。こんもりと生えるオリーヴの木は風が吹けば白さを帯び、夏雲から生まれたかのよう。ラガーの句は、地にあったラグビーボールが高く蹴り上げられた瞬間を詠んだ。ラグビーを趣味とする作者のラガーを描写した作品には臨場感がある。
金魚揺れべつの金魚の現れし
目にとまった金魚が揺れたことで別の金魚がいたことに気付いた。金魚玉の中の主役は一匹だけではない。揺れたことで主役を奪われてしまうこともある。男もまた、一人だけではない。狙っていた男が連れて来た友人を好きになっても良いのだ。
温め酒女友達なる我に 阪西敦子
二十歳を過ぎて、酒の味を覚えた頃の句であろう。若い時は、ビールやカクテル、ワインなどに親しむものである。フランスに留学していた作者がいわゆる「ぬる燗」を飲んでいるのが意外でもある。後に焼酎の句も登場する。秋の季語「温め酒」とは、旧暦9月9日の重陽の節句に、無病を祈願して飲むものであった。秋が深まり肌寒くなる時期に体を温める効果がある。現在では、酒の楽しみ方の一つとして詠まれる。居酒屋で日本酒を注文する際に「温め酒で」などと言えると大人になったなと実感してしまう。そんなことから、相手は少々年上の男性か酒好きの飲み仲間と推測した。だが、デートで温め酒というのは、色気がない。お酒の味を分かち合える気さくな関係なのだ。酔っぱらった勢いで恋仲になるでもなく、愚痴でもこぼし合ってしまうような関係だ。「私を酔わせてどうするつもり」と言ったところで、冗談で終わってしまう。温め酒を注がれた瞬間に友達が確定してしまった、そんな雰囲気も感じさせる。この残念な恋の描写が掲句の面白さである。
私も男友達は多いのだが、恋に発展したケースは少ない。男性は、この人は友達と決めると、それを貫くからであろう。女性は、何でもないことで急にときめいてしまったり、一緒に過ごすうちに「好きなのかも」と思ってしまったりする。また、最初は「友達から始めましょう」なんて出逢いもある。
男女の間に友情が成立することは、信じて疑わないのだけれども、そもそも友情と恋の感情は似ている。相手に魅力を感じているからこそ、二人だけで出掛けもするし、飲みにも行く。友情のバランスが崩れやすいのは、相手が異性だろうと同性だろうと変わりはない。ただ、その関係を崩さないように努力はしてしまうものだ。
掲句も友達のままでは嫌なのだけれども、友達でいたいのだ。仕事か何かで悩むことがあり、落ち込んでいる時に「まあ、飲めよ」と慰めてくれたのだろう。そんな優しさが好きなのだが、相手にとっては、大切な友人に過ぎない。こちら側の恋心を知らずに、頻繁に飲みに誘ってくれる男友達。あるいは、一度ぐらいは恋の想いを打ち明けたのかもしれない。知っていて、飲みに誘うのは罪なことではあるが、男性にはそういう一面がある。自分の味方になってくれる人、理解してくれる人、一緒に居て楽しい人を失いたくはないし、恋とは違うけれども逢いたいと思うらしい。女性は、友達としか思っていない男性から恋の想いを打ち明けられたら、裏切られたような気分になり、遠ざけるものである。どうしても失いたくなければ愛を受け入れる。男女の友情や恋の感覚の違いは、どうしようもないことである。
少し責めているようにも感じる詠みぶりからすると、相手はずるい男なのだ。男側には、罪という意識もない。確と恋心を伝えたのかどうかは分からないが、自分のことを友達だと思っている男を振り向かせるのは難しい。さっさと諦めて次の金魚を見つけましょう。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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