【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#39】

炎暑の猫たち
青木亮人(愛媛大学教授)

真夏のある日、猫がよくいるマンション一階の駐車場奥に行ってみると、二匹の猫が溶けた水銀のようにぐったりしたまま寝ていた。

猛暑の午後で、猫たちは日陰のコンクリートにお腹や首をピッタリ付けて寝ている。おそらく、涼しく感じるのだろう。

人間であれば暑さに応じて服を調整できるが、猫族は暑いからといって毛に覆われた皮を脱ぐわけにはいかない。それにノラ猫はクーラーの効いた部屋で過ごすことなど叶わぬ夢だ。

結局、写真のように少しでも気温の低い日陰で休んだり、少しヒヤリとするコンクリートに身体をつけて涼むしかないのだろう。

猫たちは耳を立て、周囲の警戒を怠ってはいなかったが、もうこんな暑さはイヤだとばかりに身体が腑抜けのようにグニャリとし、観念したように目をつむって昼寝を決めこんでいた。

私が音を立てないように静かに近寄ると、二匹ともにほぼ同時にうっすら目を開けたが、「ああ、例の……」といった感じで再び目をつむり、眠り始めた。

これが真夏の焼けつくような日ざしではなく、早春の日だまりであれば猫たちは日陰に逃げこむこともなかったろうし、むしろ日だまりで恩寵のような温かさにくるまれ、目を細めることもできたのだろう。

ふと気がつくと、日溜りの枯芝の上へ、いつのまにか三毛猫が一つやつて来て、背を円くして居眠つてゐた。

雀達があまりに騒々しくはしたない口を利くので、猫は思慮深い哲学者といふものは、さうした小うるさい世間の空騒ぎなどに、自分の静かな思索を乱されるものでないことを示すもののやうに、わざと片眼を閉ぢたまま、今一つの眼を細く見ひらいて、蔑むやうにちらとその方へ顔を捻ぢ向けたが、すぐに事のあり態を見て取ると、
「ふむ……」
と、軽く鼻を鳴らしたきり、大きな欠伸を一つして、両肢を長くうんと踏み伸したかと思ふと、そのまま暖い日光の下で長々と寝そべつてしまつた。

薄田泣菫「早春の一日」)

泣菫の随筆のように冬の柔らかい日ざしは猫に幸せな眠気をもたらすが、炎暑のうだるような日光は猫にとって災厄でしかない。

真夏の午後、脱水機にかけられた雑巾のようにぐったりした猫たちは再び眠り始め、お腹のあたりだけがゆっくりと上下していた。

遠くから蝉の鳴き声がかすかに聞こえ、時おり生ぬるい風が頬を撫でる。

とても静かな夏の午後だった。


【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生まれ。近現代俳句研究、愛媛大学教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』『教養としての俳句』など。


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