細長き泉に着きぬ父と子と
飯島晴子
鬱蒼とした山道を歩く間、方角や距離の感覚は鈍っているであろう。周囲を捉える尺度が揺らぎつつある状況で漸く泉にたどり着いた時の、身体の内外が交通を再開する開放感が、掲句にはある。その開放感は一瞬のことでありながら、じんわりとした感覚であろう。そして、嬉しいなどという感情よりも、もっと根源的でかつニュートラルなものだと思われる。
眼前に泉が現れた瞬間、それを「細長き」と認識した。泉が細長ければ、どこかしら見通しづらい部分がある。真円に近く、おおよそ全貌を見渡せる場合より、少し心細い感じがありそうだ。ただし、実際にはそこまで細長くはなかったのかもしれない。暗いところから明るいところに出た時のように、外界を認識するための尺度は徐々に整ってゆくであろう。
着いたのは父と子。こう提示されると、我々はひとかたまりとしての父と子を思い浮かべる。父と子のそれぞれの事情には、それほど深入りさせない句である。それは、父と子が、別個の人間でありながら、掲句の瞬間においては、限りなくひとつのものに近いからかもしれない。同じことを考えているという以上の次元の、もっと芯の部分で、通い合っているのだと思う。泉に到達した開放感によってそれぞれの身体の内部と外部の空気とが交通し、その空気を介して父と子もまた交通しているのではないか。
(小山玄紀)
【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員
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