俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第24回】近江と森澄雄


【第24回】
近江と森澄雄

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


滋賀県の1/6を占める琵琶湖一帯は、古くは(あは)(うみ)と呼ばれ、遠江(浜名湖)に対し近江となった。東海道、中山道、北陸道の交通の要で、歴史的にも大津京、比叡山、安土城址、姉川や賤ヶ岳古戦場等遺跡が多く、湖東の江州米を始め琵琶湖の魞挿し、魦漁も知られる。

浮御堂(満月寺)

近江八景―瀬田の夕照、石山の秋月、粟津の晴嵐、三井の晩鐘、唐崎の夜雨、堅田の落雁、矢橋の帰帆、比良の暮雪―の景勝地がある。

秋の(あふ)()かすみ誰にもたよりせず 森 澄雄

あかねさす近江の国の飾臼    有馬朗人

みづうみに四五枚洗ふ障子かな  大峯あきら

みづうみのみなとのなつのみじかけれ 田中裕明

辛崎の松は花より朧にて     松尾芭蕉(唐崎神社)

木曽殿と背中合せの寒さかな   島崎又玄(義仲寺)

鳥共も寝入てゐるか余呉の海   斎部路通(余呉) 

雪中の葱を折る雪賤ヶ嶽     宇佐美魚目

青と決む湖北に見たる綿虫は   能村登四郎(菅浦)

葭切や魞をひくめて竹生島    石田勝彦

比良ばかり雪をのせたり初諸子  飴山 實

鴨浮べ志賀のさざ波ただ暗し  井沢正江

さみだれのあまだればかり浮御堂 阿波野青畝

春の虹この道ゆかば都あと   柿本多映(大津京跡)

石に反る厠草履や初比叡    波多野爽波

大根を干して観音守りけり   広渡敬雄(渡岸寺)

〈秋の淡海〉の句は、第三句集『浮鷗』に収録、堅田・祥瑞寺に句碑がある。自註に「シルクロードから戻り、芭蕉の呼吸を願う心の飢えで始めた「淡海恋い」の旅で、義仲寺を訪ねた帰りの電車の中でふっと胸から湧きあがった句」とあり、「この句ほど、澄雄の心の動き、即ち一句成立の背景―『息をつめる』を伝えるものはない。シルクロード旅行中、芭蕉の〈行く春を近江の人と惜しみける〉が澄雄の胸を打ったという。この句は息をつめた瞬間、澄雄の影の中に芭蕉も居たのだろう」(宇佐美魚目)の鑑賞がある。

渡岸寺(長浜市観光協会)

澄雄は、大正8(1919)年、兵庫県揖保郡旭陽村(現姫路市網干区)生まれ、本名は澄夫。父貞雄が歯科を開業する長崎市で育つ。ホトトギス俳人の父冬比古(俳号)の影響で十歳位から俳句を始め、長崎高商、九州帝大時代には加藤楸邨の「寒雷」に投句した。昭和17年、大学を繰上げ卒業で入営し、マニラを経て北ボルネオの「死の行軍」後、終戦となり、捕虜収容所へ。復員帰国後、同22年、28歳で佐賀県立鳥栖高等女学校の英語教師となり、翌年同僚の内田アキ子と結婚し、直ちに上京、都立第十高等女学校(現豊島高校)の社会科の教師となった。

「寒雷」同人(暖響作家)、編集長を経て、同45年(1970)年、51歳で「杉」創刊主宰(〈紅葉の中杉は言ひたき青をもつ〉)し、多くの逸材を育てた。

同47年、角川俳句賞選考委員、読売俳壇選者となり、七月から八月にかけて師加藤楸邨と共にシルクロードへ旅をして、風土も歴史も違う中央アジアと近江で共通するはるかなもの、悠久の啓示を得て、その後の100回を超す「近江通い」の契機となる。同53年、『雪櫟』『花眼』『浮鷗』に次ぐ、第四句集『鯉素』で読売文学賞を受賞した。

義仲寺((社)びわこビジターズビューロー)

同57(1982)年、自宅で執筆中、脳血栓で倒れ緊急入院、その後退院し、同62年、句集『四遠』で蛇笏賞受賞、紫綬褒章を受章したが、同63年、妻・アキ子が心筋梗塞で急逝、その後木の実のごとき臍もちき死なしめき〉〈なれゆゑにこの世よかりし盆の花〉等妻を詠み続けた。大腸ポリープ、脳溢血、頚椎狭窄症に苦しみつつも、句集『所生』『白小』『花問』『深泉』他を上梓。恩賜賞・日本芸術院賞で日本芸術院会員、毎日芸術賞も受賞し、平成17(2005)年には文化功労者となる。同22(2010)年、8月18日、91歳で逝去。

評論、エッセイ集には、『森澄雄俳論集』『俳句遊心』『俳句への旅』、自伝エッセイ『俳句燦々』等々がある。

「近代俳句が失ったイデー(理念)を求めて独自の方法と俳句世界を獲得した」(宗田安正)、「澄雄のいう滑稽や諧謔、その俳句観・人生観は仏教・神道でなくは老荘思想」(坂口昌弘)、「芭蕉と同様に近江の自然と文化の中で豊かな晩熟を求めるようになった」(饗庭孝男)、「戦争を境にした価値観の変化が、過酷な従軍の体験から、リベラルと権威主義の調和を忌避し、苦悶を詠わず明るい観照の世界へ脱皮した」(今井聖)、「無常観を底に沈めながら、しんと沈んだ寂しさがある」(角谷昌子)等々の鑑賞がある。

竹生島(宝巌寺遠望)

澄雄俳句の中で、近江に限定して掲載したい。

田を植ゑて空も近江の水ぐもり

紅梅を近江に見たり義仲忌

芭蕉忌の酢漬の冷や近江蕪

火にのせて草のにほひす初諸子

朱の多き涅槃図があり湖の寺  

みづうみのけふ渡らねど雁の空

さざなみの志賀に見てをり瓜の花

夜寒かな堅田の小海老桶に見て 

義仲をとぶらひたれば瀬田蜆

草津より湖や青田や姥ヶ餅  

青涼の葭と暮らして葭長者 (近江八幡)

白装の僧のそのまま昼寝せる(安土摠見寺)

(ひばり)をあげて菓子めく彦根城(彦根)

十一面観世音出て芹の水 (渡岸寺)

弁財天黐を良夜の樹となせり (竹生島)

淡海見ゆ近江今津の麻畠

八荒やこゑふえそめし百千鳥(比良八荒)

最澄の山餅咥へたる犬に遭ふ (比叡山)

隠れキリスタン家系の父の宗教上の煩悶、過酷な戦争体験等々が、道教思想や生来の含羞と結びついて芭蕉に惹かれ、百を超す「近江通い」を通じて独自の世界を開いた。

(「たかんな」令和二年三月号より加筆転載)    


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


<バックナンバー一覧>

【第23回】木曾と宇佐美魚目
【第22回】東山と後藤比奈夫
【第21回】玄界灘と伊藤通明

【第20回】遠賀川と野見山朱鳥
【第19回】平泉と有馬朗人
【第18回】塩竈と佐藤鬼房
【第17回】丹波市(旧氷上郡東芦田)と細見綾子
【第16回】鹿児島県出水と鍵和田秞子
【第15回】能登と飴山實
【第14回】お茶の水と川崎展宏
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【第12回】高千穂と種田山頭火
【第11回】三田と清崎敏郎


【第10回】水無瀬と田中裕明
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