永き日や相触れし手は触れしまま 日野草城【季語=永き日(春)】


永き日や相触れし手は触れしまま

日野草城
(『昨日の花』)


 俳句界にミヤコホテル論争を巻き起こした妄想初夜の連作の一句。1934年(昭和9年)日野草城は、「ミヤコ ホテル」と題して『俳句研究』(改造社)創刊第2号に連作10句を発表する。京都に新婚旅行に行ったという設定で新婚初夜から翌日までの男女を描いた。この一連の作品は、実はフィクションであり、草城と政江夫人は、新婚旅行をしていない。俳句というジャンルにおいて男女の性愛を題材とし、赤裸々に描いた作品は賛否を生み激しい論争へと発展していった。

 室生犀星は小説的と評価したが、中村草田男は激しく批判した。草田男は、男女の初夜を題材にすることにより、世間の注目を浴びたいという草城の魂胆を感じ取ったからであろうと勝手に理解していた。

 以下が問題の10句である。表記は『昨日の花』(昭和10年刊)に拠る。

  けふよりの妻と(とま)るや宵の春

  春の宵なほをとめなる妻と居り

  枕辺の春の灯は妻が消しぬ

  をみなとはかかるものかも春の闇

  薔薇匂ふはじめての夜のしらみつつ

  妻の額に春の曙はやかりき

  うららかな朝の焼麺麭(トースト)はづかしく

  湯あがりの素顔(すがほ)したしも春の昼

  永き日や相触れし手は触れしまま

  うしなひしものをおもへり花ぐもり

 エロティシズムな一面が批判されたように思っていたが、現代の感覚で読むとそんなに過激な表現はない。

 〈枕辺の春の灯は妻が消しぬ〉は、初夜という情報を持った色眼鏡で読むと安っぽい官能小説の一場面のように思えてしまう。だが、独立した一句として鑑賞すれば、灯を消す役割は妻にあり、妻の手によって一日の終わりが告げられていると解釈することもできる。

 〈をみなとはかかるものかも春の闇〉もまた、春の闇が女性の肉体美を浮き上がらせ、闇深い男女の性愛が普遍的に描かれている。女性に触れた男性の純粋な感動が伝わってくる。

 〈薔薇匂ふはじめての夜のしらみつつ〉は、薔薇が女性器の暗喩であり淫らであると言われているが、部屋に薔薇があったと素直に解釈すれば良いのでは。ただ、この場面で薔薇が登場すると、いわゆる出来すぎな感がある。薔薇が嘘っぽく思えてしまうのである。初夜のロマンティックな雰囲気を演出しすぎたのだ。ここがフィクションの弱いところであろうか。

 〈うららかな朝の焼麺麭(トースト)はづかしく〉は、〈はずかしく〉が直接的な表現であり、読んでいる読者の方が恥ずかしくなってしまう。うつむいてトーストを囓っているぐらいにして欲しかった。

 そんな賛否のあるなかで〈永き日や相触れし手は触れしまま〉だけは、共感者が多いようである。男女が一夜を共にした後のさり気ない行動の変化をリアルに表現している。

 恋仲になっていない男女が手を触れることは、無礼なことであった。現代でも電車の吊革を掴む時、隣り合った異性と手が触れ合えば、どちらからともなく「すみません」と言う。

 交際中でもレストランで、醤油をとろうとして手が触れ合えば、お互い恥じらいの表情を見せ「お先にどうぞ」と言う。その後、男女の関係が成立すると、醤油の上で手を握り合ったりするようになる。女性の手を握った男性が「僕が注いであげる」などの会話もあるかもしれない。

  永き日や相触れし手は触れしまま   日野草城

 草城の「ミヤコ ホテル」は、フィクションであり妄想なのだが、政江夫人との間には、初々しい夜もあったのであろう。現代は、妄想俳句を認定する動きもある。それはきっと昔から存在していたのだ。和歌における歌枕や題詠は、訪れたことのない土地に思いを馳せ、見たことのない情景を詠んでいるのだから。自分が知り得た情報から想像を膨らませ新しい表現を掴むことは、文学者は勿論のこと俳人でもあるのではないだろうか。

 ただ、当時としては、仮想の設定を作りそれに沿って詠むという行為が俳句というジャンルでは、安易な表現しか生まれないと批判されたのだ。俳句は一句独立であること、リアリティーの追求であることは、現代でも変わらない。また、男女の性愛を詠もうとすると陳腐な表現に陥りやすいという危惧もある。そして、自分の俳句表現の新しさを訴えるために男女の性愛を詠み大衆の受けを狙った感も拭えない。

 特に草田男が激しく批判したのは、妻との性愛を自分の表現のために利用したことが許せなかったのではないだろうか。草田男もまた、妻との性愛を詠んでいるが、それは、表現の手段としてではなく、湧き上がる感情として詠んでいるのだ。愛して止まざるが上に生まれた表現の境地として詠んだのだ。草城のように自己の表現欲求のために利用した偽りの愛ではないということであろう。

 だが草城もまた、俳句のモデルとしてだけに妻を利用したわけではないのだと思いたい。「ミヤコ ホテル」の句には、体験した人にしか描けないリアルがある。新婚旅行はしていないのだが。

 「ミヤコ ホテル」連作の設定に従って鑑賞してゆくと、当該句は初夜の翌日のこと。京都東山のホテルに宿泊したのだから、翌日は観光もするであろう。

 清水寺の舞台にて春風に吹かれる二人。同じ景色を共有し、無言のままに見続ける。もう言葉は要らないのだ。このまま時が止まればいいのにと思い、何気に欄干に置いた手が幽かに触れ合った。昨日までなら、すぐに引っ込めたはずの手をお互い触れ合ったままにしていた。昨夜一つになった温もりを、手を通して実感しているのだ。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


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