蚕のねむりいまうつしよで呼ぶ名前
大西菜生
うつしよ、は現世でもあり、移し世、なのかもしれないと思っている。この人の作品にはひらがなが多く、やわらかさが感じられる一方で意味はややブレる。でもこのブレが良いのかなとも。蚕のねむりというとどうしても繭の中にいる姿、もうすぐ絹糸をとるために殺される姿を想像する。それが糸を引くようにその名を呼ばれ、現世に戻る。
作者の大西菜生は1998年生まれ、現在は無所属。時々個人のnote、「詩客」などに作品を発表している。この人の俳句で最初に覚えたのは2016年の俳句甲子園の入賞句で、
藍浴衣ことばは人間を使ふ
という句だった。言葉が意志をもって人間を乗りこなしているようで、しかし藍浴衣の合わせ方に絶妙な情緒があって気になった。この年に大西の所属する東京家政学院高校俳句同好会の部誌「Phenomenon」を送っていただいて読み、それも全体的によかったと記憶している。
その次にまとまった作品を読んだのは2017年、第五回の芝不器男賞の一次選考通過作だ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇(ほうせきのつらなり)春の雨ぼかす
わたし血を巨峰食べつくしてわかる
おお、以前とはまた少し違うけど、これはかなり好きな作風かもしれない…と感じた。ひらがなによく開かれており、どことなく不安とためらいが感じられ、込められた熱量のわりに言い淀む独自の文体。手をとってわかってあげたくなるような、人を惹きつける文体だと思った。
2021年と2023年にはWebサイト「詩客」に10句ずつを寄せている。「ゆうめいな悪夢」(2023年)から引く。
ひもかがみ苦い呪文をはらわたに
なきぞめの部屋でくらくらまもられて
蚕のねむりいまうつしよで呼ぶ名前
時を経てまた少しずつ文体が変わっているが、この連作ではかなり確立してきているように思う。この連作から感じるのは夢のなかの言いようのない不安感、シェルターの中にまもられていながら手に何も触れないような感覚。
「蚕のねむりいまうつしよで呼ぶ名前」で終わることでこの連作全体が蚕(を模した人)の夢で、夢はそこにあるまま平行世界である現実に戻ってくるような印象に作ってある。
全体的にどこかとろりとガーリーでありながらうちがわに切迫感のある作風で、今までのどの俳人に似ているともちょっと言い難い。新たな作品をじりじりしながら待っている作家のひとり。
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俳句において自分は作者でもあり読者でもありえるわけだが、たぶんいま、自分の中での作者:読者の比は40%:60%くらい。読者としては、独自の進化を遂げたチャレンジングな句を書く作者を見つけてその作品を年単位で追いたい。
では、どうやって自分にとってチャレンジングで面白い作品と出会えばいいのか。句集を読めばよいのか。たとえば新しく出た句集をぜんぶ読む?または、新人賞や賞に上がった作品を読めばよい?あるいは特定の同人誌を読む?句集になってない人の句はどうすればいいのか?また賞に応募する気がない、応募しても受け入れられないような作品の作者はどうやって探せばいいのか?
このあたりは、どんな作品を面白いと思うかによってもかなり異なるだろう。このことについて自分なりの答えはいくつかあるが、ほかの人はどうしているのかもぜひ聞いてみたい。自分なりの答えを一つだけ言うと、芝不器男俳句新人賞の一次選考通過作品はとりあえず3回読んでる。
(佐々木紺)
【執筆者プロフィール】
佐々木紺(ささき・こん)
1984年生、「豆の木」同人。2022年、第13回北斗賞受賞。2023年、「雪はまぼろし」20句で豆の木賞受賞。2024年、句集「平面と立体」刊行、島根「書架 青と緑」で展示「夜の速度」(山口斯×佐々木紺)。俳句一句の入った小箱「haiku souvenir」(紙屋)発売中。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【2025年3月のハイクノミカタ】
〔3月1日〕木の芽時楽譜にブレス記号足し 市村栄理
〔3月2日〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
〔3月3日〕走る走る修二会わが恋ふ御僧も 大石悦子
〔3月4日〕あはゆきやほほゑめばすぐ野の兎 冬野虹
〔3月5日〕望まれて生まれて朧夜にひとり 横山航路
〔3月6日〕万の春瞬きもせず土偶 マブソン青眼
〔3月8日〕下萌にねぢ伏せられてゐる子かな 星野立子
〔3月9日〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
〔3月10日〕逢ふたびのミモザの花の遠げむり 後藤比奈夫
【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩
〔2月22日〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
〔2月23日〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
〔2月24日〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
〔2月25日〕時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子
〔2月27日〕お山のぼりくだり何かおとしたやうな 種田山頭火
〔2月28日〕津や浦や原子爐古び春古ぶ 高橋睦郎