菊人形たましひのなき匂かな
渡辺水巴
尊敬する先輩に『続・インタフェースデザインの心理学』という本を薦められたので早速読んでみた。その中で最も興味をひかれたのが、ロボットの外見が人間に近付いていくとある時点で「不気味だ」と突然感じてしまうという「不気味の谷現象」の話であった。機能においては人間の特徴があった方がその機械への信頼が増すのだが、外見においては人間に近寄せすぎると逆効果になることもあるようである。そういえばドラえもんは猫型ロボットだから違和感がないのかもしれない。
脚本家の倉本聰は著書『獨白 2011年3月 「北の国から」ノーツ』で次のように語っている。
最初にドーンとつく大ウソは、ドラマである以上、これは許されるの。
でもその先は小ウソはついちゃいけない。
確かに、ドラマ「北の国から」は何もかもが大胆な設定なのに誰もがすんなり話に入っている。UFOのシーンすら受け入れてしまっていた。しかし例えば黒板五郎の爪が磨き抜かれていたらドラマ全体のリアリティが失われるだろう。
つくのなら大きな嘘を。題詠の際に心がけていることのひとつである。
菊人形たましひのなき匂かな 渡辺水巴
菊人形には魂がないことはわかっているのに「たましひのなき」と感じたのはある時点まで魂があるように錯覚、あるいは願っていたのだろう。ところが、菊の匂いが生き生きと鼻をつき、人間ではなく菊人形であったことをまざまざと感じさせられたのだ。そこまでじっくりと見入ってしまうのは菊人形の美しさゆえ。
「匂」は菊の香のことを指しているが、匂という単語自体には「人柄などの、おもむき。気品。/そのものが持つ雰囲気。それらしい感じ。」という意味もあり、嗅覚に限ったものではない。存在感そのものに魂が宿っていないのだ。
人間らしいものや動きのあるものに出会うと筆者はそれに魂があるかどうかの判断をついしてしまう。それはこの句の影響によるのかもしれない。
前述の先輩に「不気味の谷現象」という話が面白かったです!と話そうとしたが機会のないまま時間が過ぎ、ある時ふと記憶が甦った。その先輩は本を推薦したわけではなく「不気味の谷」が面白いという話をしていただけだった。「この話面白いよ」と言われたことをさも自分が発見したかのように話そうとしていたのだ…。
今回は偶然思い出したが、日頃この程度のことはよくやってしまっているのであろう。旅だけではない、日常の恥も掻き捨てて日々を過ごしているのである。
『水巴句集』(1915年刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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