受賞者の一人マスクを外さざる 鶴岡加苗【季語=マスク(冬)】


受賞者の一人マスクを外さざる)

鶴岡加苗

 

人生のどん底はここだった、と明らかに言える期間がある。周囲の方々にも助けてもらったが、一人になった時に襲ってくる絶望を救ってくれたのは2曲の歌であった。そのうちの1曲「ライフイズビューティフル」(ケツメイシ)について今日は語りたい。

ケツメイシはボーカル&MCのRYOJIの声が好きで聴き始めたのだが、どの曲も歌詞が前向き。偶然にも精神衛生上素晴らしかった。テンポもちょうど良い。「苦労 苦悩 越えた自分に おはようハロー もう辛くないよ 泣いたり 悩んだりするから 人生は美しい」という歌詞に「そうですよね」と一人頷いては人間としての誇りを取り戻していた。生きていてもいいのだと思えた。私を救ってくれた曲だった。

それが昨年のNHK紅白歌合戦で披露された。紅白初出場だが「さくら」ではなくこの曲でのオファーだったから受けたとMCのRYOがライブで語っていた。万感の思いで曲を堪能。以来「ライフイズビューティフル」は私個人にとっての名曲から日本国民に捧げる名曲へと勝手に昇格とさせていただいた。

「助けて」と思いながら聴いた曲。今は「これで誰かが救われてほしい」と願えるようになってきた。傲慢に生きてきたがボコボコに打ちのめされて少しはマシな人間になれたのかもしれない。

受賞者の一人マスクを外さざる   鶴岡加苗

 マスクにはもう季感がない、季語ではなくなるのではないかとの声を聞くがその議論は時期尚早な気がする。10年後も真夏にマスクをするのが当たり前の世の中なのであればその時はもう納得せざるを得ない。とはいえここ1-2年の感覚としては確かにマスクに季感は薄い。あの頃はマスクに季感がなかったよね…などと会話する日が来ることを願う。

掲句は感染症流行以前の平成25年に作られたもの。当時の感覚で読むと、その受賞者の一人が風邪だけの理由ではなく壇上に立つことを恥じらってマスクを外さないでいる情景が思われる。あるいは何らかの事情で頑なに顔を見られたくないのか。「外さざる」の措辞から強い意志をもってマスクを仮面として使っていることを感じる。

同じ句なのに今読むとその受賞者の感染症への考え方が投影されているように見える。撮影の間だけマスクをとって下さい、などと言われてもなんとしても感染症にはかかりたくないし人にもうつしたくない。マスク本来の機能を重要視している姿勢の表れとなる。

ある出来事が起こる以前と以後の感じ方の違い。檀ふみは阿川佐和子と出会う前後を「B・A」(before阿川)「A・A」(after阿川)と名付けていた。そんな軽やかさで様々な出会いを楽しんでいきたい。

『青鳥』(2014年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】

鶴岡加苗句集『青鳥』!】



【吉田林檎のバックナンバー】

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