かなしみへけん命になる螢でいる 平田修【季語=螢(夏)】


かなしみへけん命になるでいる

平田修
(『曼陀羅』平成8年)

この連載をはじめ、「一句鑑賞/一首鑑賞」という企画はアーカイブの性質を強く備えている。特にネットに掲載されるものはことさらで、俳人の名前を検索した際に過去の一句鑑賞が出てくることは非常に多い。

裏を返せば、一句鑑賞は文字通り俳句の鑑賞文であると同時に、俳人の紹介文でもあるということだ。先ほどとは逆に、連載をきっかけに俳人を(俳句を)知ることだってあり得る。

そんな両方の性質を併せ持つ(♣)一句鑑賞に求められる情報の価値は、①著名俳人の無名句、②新人の秀句、そして③無名の物故俳人の3点にこそあろう(と、勝手に思っている)。

この「ハイクノミカタ」は週刊連載なので、毎週違う人を紹介すれば1年で約50人の俳句を紹介できる計算になる。前述した連載の持つアーカイブ性を意識して、これまでは毎週違う作家を紹介してきた。が、今日からしばらくは、ある俳人の句を集中して取り上げることを許されたい。

かなしみへけん命になる螢でいる
平田修

平田の存在は、小田原の俳人・大石雄介(元『海程』編集長)氏より伺った。雄介さんは生前の平田と親しく、その句業を手書きの『「包」別巻1号 平田修俳句集成』としてまとめている。この度そのコピーをご恵投いただき、あわせて掲載の許可を得た。

“生前の”と書いた通り、平田修は故人である。没年は2006年(享年59)。自決であった。日蓮宗の僧侶を父に持ち、尺八の奏者でもあった平田は、自らを含む人間存在の重さや軽さ、生きること、吹くこと、書くことといったあらゆる業とひたむきに向き合った。そしてそのひたむきさは時に、度が過ぎていたのかもしれない。

掲句の収録は『曼陀羅』となっている。これはいわゆる刊行された(ISBN付きの)書籍ではなく、今となっては知る術のない何らかの契機にまとめられた51句が『曼陀羅』と題されているにすぎない。

『曼陀羅』には、蛍の句が3句ある。掲句に加え、
〈螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった〉
〈螢 螢
  螢まみれになって
       入ってた〉
という多行形式を含む句群である。いずれからも写生句とは異なり、極めて情緒的な没頭の痕跡を感じ取れる。20代の終わりに俳句を知るまで「国語する私の力が無に近かった」(「『卯月野』序文」より)という平田の、魂による写生であった。

平田の句稿を手にした時、彼がより読まれなければならない作家であることを確信した(それも単なるコピーの配布ではなく、その境涯と俳史的価値に対する検討と共に)。よって本連載では以後しばらく、平田の生きた轍たる句業を追っていく。烏滸がましくも、身に余る紙面を抱える僕に課せられた使命であるとすら感じている。

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。



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