日の綿に座れば無職のひとりもいい
平田修
(『血縁』1994(平成6)年ごろ)
平田は多くの職歴を持つ。そのいくつかは情報として残されているし、平田を知る人々から伝聞で聞いたものもいくつかある。しかし、多くの職歴を持つことはしばしば、定職を持てなかったことと同義である。いわゆる大企業に勤めて賃金を受け取ることがまだかろうじて稼得手段として上位の選択肢に居座っている現代において、定職につかないことは「金を稼ぐ」という観点から見れば不利である。事実、平田に関する記述や逸話を訊く限りでは、彼は金銭面に余裕があったとは言い難い暮らしを送っていたと見える。
無職という語にはいくつかのニュアンスがあるし、それは発話されるシチュエーションによっても異なった相貌を見せる。本当に一切の仕事をせず何らかの(多くの場合、その親の)支援を受けて生活している真正の無職もいれば、転職時のわずかな閑暇を自虐的に無職と呼ぶケースもある。様々な稼業を経験した平田にとって、たびたび味わったその間の空白こそが無職の期間であったのではないだろうか。次の仕事が決まっている状態ならまだしも、そうではないケースで落ちゆく陽を眺める時間はかなりの苦痛である。金はない。仕事の予定もない。劣等感や疎外感が胸を締めつけ続けるが、仕事を探すという行為は何よりも難しい。そしてもっとも悲しいのは、そんな状況でも容赦なく奏でられる胃の蠢きである。そんな状況にあっても「無職のひとりもいい」と言い果せる平田の心骨は強く、淋しい。
俳人の稼得状況というのはしばしば話題に挙げられる。先日更新された髙良真実氏のnoteでは短歌史記者の不在をアカデミアの変質と現代歌人のビジネスモデルから追求しているが、その中では歌人と金銭というつながりの一例として佐佐木信綱の家計事情にも触れられている。髙良氏の言うように職業俳人/歌人の主たる収入源は新聞俳壇などの選句料であり、そのポストはいわゆる大御所が独占している。独占と言うとそのことを忌んでいるように誤解されそうだが、これに関しては新聞俳壇の性質上致し方ないことであるとは思っている。
では現代の若手〜中堅俳人はどうしているのか。大学の非常勤講師としての収入やカルチャースクールの授業料、あるいは入門書の印税などを糧としている俳人も少数存在するが、ほとんどの俳人が俳句とほとんど関係のない仕事をして生活費を稼いでいる。僕もその一人だ。つまり、「本業」をこなす傍らの時間を俳句の実作や読書、研究に充てているということである。そして多くの俳人は、その「本業」と俳句とのバランスという壁に直面する。俳句に金銭的余裕を持ってコミットするために、本業でのハードワークが強いられるのだ。本業で削られた体力を以って俳句に向き合うとき、こんな表現形式を選んでしまった自分を恨むことだってあるだろう。
音楽や美術、そしてお笑いの世界には夢がある。つまり苦難の時代を乗り越えて栄光を掴むというロイヤルロードに、副賞として金銭的な成功が付随しているのである。金銭的成功と芸術的到達を混同することの是非はあるとしても、である。対して俳句には、そういう意味での夢はない。賞を受け、句集を出版した「有名俳人」が実はまだまだアルバイトで食いつないでいるといったこともザラである。
しかし。そもそも「夢」とは何だったか。「夢」という語を馬鹿正直に捉えたとき、子供の頃や微睡みの中に見た夢の中の姿に、金銭はあっただろうか?夢という言葉が示すビジョンを自分の願望の終着点が現れるものだと仮定したとき、そこに金銭の姿は無いはずである。無論その実現に金銭が必要ということはあろうが、それはあくまでも手段である。金そのものは夢になり得ない。
では、俳句にとっての「夢」とは何だろうか。少なくとも、句集が100万部売れ、その印税で毛皮を纏ってシャンパンパーティをすることを目標としている人はいないだろう(もしいたら、他の手段を検討することを強くおすすめする)。夢の形は人それぞれであり、むしろ多くの人にとってそれはまだ(あるいは、一生)具体的な形をとらないかもしれない。そんな中で、私たちは考え続けていかなければならない。俳句を書き、俳句を読み、俳句を考えるという営為の中で、夢は常にその道程を照らし続ける。あるいは、その道のりこそが夢であったと気づくのかもしれない。生活や本業のことを思案する以前に、夢を見るというハードワークと向き合い続けるほかないのである。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
(細村星一郎)
【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
【細村星一郎のバックナンバー】
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