海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎【季語=海豚(夏)】

海豚の子上陸すな〜パンツないぞ

小林健一郎
(第二句集『2025』2025年)

掲句は先日上梓された句集『2025』からの一句。コバケンこと小林健一郎さんは「海程」の出身で、僕がたびたび話題に挙げる小田原DA句会の仲間である。大の酒好きで、先日僕が珍しく電車で小田原へ行った(=酒が飲める!)際には大量の缶ビールや持参の麦焼酎をごちそうしてくれた。人物・作品ともに愉快な人で、掲句も思わず声を出して笑ってしまうような句である。そのわけは単に内容的な部分だけではなく、そのリズムにもあるのだと思う。一見無関係に見える単語のつながりが、軽妙な語り口によってフラフラした一筋の詩となって脳に響き渡ってくる。さながらジャグリングやパントマイムを見ているような感覚で、身構えた読者は何度も肩透かしを食らうこととなる。こうしたコバケン俳句の深部について、大石雄介さんは句集の序文でこう述べている。

俳句形式の本分はことばの生まれてくる場たるところにある。ぼくらは一本(ひともと)の花に打たれてその前に立つように、生まれて来たことばの前にただ立っていればいい。そこに何の作意も加えてはならないのである。(これはことばの語彙としての捉え方に裏打ちされているのだが今はくり返さない。)
(中略)
一句の冒頭からことばがつぎつぎと次のことばを生み継いで一句を成立させているもの。むろんそれを支える作者のエネルギーあってのものだが、あたかもことばの自己運動のごとき様を呈する。(『2025』大石雄介「序文・・悪戦苦闘を楽しむ」)

掲句のおかしみは案外複雑である。そもそも当然に裸であるところの海豚にパンツ(があれば)を履かせようとしているところ。そして当の海豚の子はそれを意に介さずどんどん地上に上がってきてしまうところ。それを眺めている者もまた、本気で止めようなどとは思っていない。言葉や要素の全てに衒いがなく、こちらにそれ以上深読みする気をも起こさせない独自の文体にはお手上げという他ない。ただしこの読み味は、海豚が裸であるということに由来するものではない。コバケンの句において、裸なのは”言葉そのもの”なのである。

バクテリアお前さびしさのてっぺんか  健一郎
白梅は静電気好きな早さです

雄介さんの序文にあるような「生まれてくる言葉を前にして、なんの作為も加えずにただ立つ」という作り方は非常に難しい。言葉には意味がつきまとっていて、その意味を読んだり探したりする欲望に抗うことは極めて難しい。それを至極簡単なことのようにやってのけるところに彼の凄味がある。氾濫する言葉の中で、小林健一郎という男は敬虔な羊飼いであり続けているのだ。そんな自然体で言葉がコントロールされた句集から10句を抄出して、今日のところは終わりたいと思う。

消しゴムの屑でつくれば象の帰郷  健一郎
ドラゴンフルーツついばむ眠たい眠たい
ふきのとう天天てんぷら塩葬々
洋ナシは肉体に入りたがって困る
くま県りす市字落ち葉坂下ドングリ銀行
さびしさもひとり勝ちです枇杷の花
さみしければ振る山川草木ワオキツネザル
素数蝉の二二一年我が細胞孤独
殺戮のできたて銛のうふふふふっ
丸木舟の海路に入って俺もえんまこおろぎ

P.S. ふきのとうという生命のイメージを流れるように死のイメージへ誘導するあざやかな手つき。くま県りす市には当然、りす市役所やりす市立商業高校があるのだろう。殺戮句はあきらかに〈三月の甘納豆のうふふふふ 坪内稔典〉のオマージュだろうが、様子がおかしい。できたての銛はまだ殺戮していないはずだから、これから殺戮をする予定の銛ということだろうか。怖すぎる。

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。



【細村星一郎のバックナンバー】
>>〔58〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
>>〔57〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
>>〔56〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
>>〔55〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
>>〔54〕ぼく駄馬だけど一応春へ快走中 平田修
>>〔53〕人體は穴だ穴だと種を蒔くよ 大石雄介
>>〔52〕木枯らしや飯を許され沁みている 平田修
>>〔51〕ひまわりの種喰べ晴れるは冗談冗談 平田修
>>〔50〕腸にけじめの木枯らし喰らうなり 平田修
>>〔49〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
>>〔48〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
>>〔47〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
>>〔46〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
>>〔45〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
>>〔44〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
>>〔43〕糞小便の蛆なり俺は春遠い 平田修
>>〔42〕ひまわりを咲かせて淋しとはどういうこと 平田修
>>〔41〕前すっぽと抜けて体ごと桃咲く気分 平田修
>>〔40〕青空の蓬の中に白痴見る 平田修
>>〔39〕さくらへ目が行くだけのまた今年 平田修
>>〔38〕まくら木枯らし木枯らしとなってとむらえる 平田修
>>〔37〕木枯らしのこの葉のいちまいでいる 平田修
>>〔36〕十二から冬へ落っこちてそれっきり 平田修
>>〔35〕死に体にするはずが芒を帰る 平田修
>>〔34〕冬の日へ曳かれちくしょうちくしょうこんちくしょう
>>〔33〕切り株に目しんしんと入ってった 平田修
>>〔32〕木枯らし俺の中から出るも又木枯らし 平田修
>>〔31〕日の綿に座れば無職のひとりもいい 平田修
>>〔30〕冬前にして四十五曲げた川赤い 平田修
>>〔29〕俺の血が根っこでつながる寒い川 平田修
>>〔28〕六畳葉っぱの死ねない唇の元気 平田修
>>〔27〕かがみ込めば冷たい水の水六畳 平田修
>>〔26〕青空の黒い少年入ってゆく 平田修
>>〔25〕握れば冷たい個人の鍵と富士宮 平田修
>>〔24〕生まれて来たか九月に近い空の色 平田修
>>〔23〕身の奥の奥に蛍を詰めてゆく 平田修
>>〔22〕芥回収ひしめくひしめく楽アヒル 平田修
>>〔21〕裁判所金魚一匹しかをらず 菅波祐太
>>〔20〕えんえんと僕の素性の八月へ 平田修
>>〔19〕まなぶたを薄くめくった海がある 平田修
>>〔18〕夏まっさかり俺さかさまに家離る 平田修
>>〔17〕純粋な水が死に水花杏 平田修
>>〔16〕かなしみへけん命になる螢でいる 平田修
>>〔15〕七月へ爪はひづめとして育つ 宮崎大地
>>〔14〕指さして七夕竹をこはがる子 阿部青鞋
>>〔13〕鵺一羽はばたきおらん裏銀河 安井浩司
>>〔12〕坂道をおりる呪術なんかないさ 下村槐太
>>〔11〕妹に告げきて燃える海泳ぐ 郡山淳一
>>〔10〕すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる 阿部完市
>>〔9〕性あらき郡上の鮎を釣り上げて 飴山實
>>〔8〕蛇を知らぬ天才とゐて風の中 鈴木六林男
>>〔7〕白馬の白き睫毛や霧深し 小澤青柚子
>>〔6〕煌々と渇き渚・渚をずりゆく艾 赤尾兜子
>>〔5〕かんぱちも乗せて離島の連絡船 西池みどり
>>〔4〕古池やにとんだ蛙で蜘蛛るTELかな 加藤郁乎
>>〔3〕銀座明るし針の踵で歩かねば 八木三日女
>>〔2〕象の足しづかに上る重たさよ 島津亮
>>〔1〕三角形の 黒の物体オブジェの 裏側の雨 富沢赤黄男


関連記事