【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#25】
写真の音、匂い
青木亮人(愛媛大学准教授)
昔の旅行写真を見ながら往事を振り返っていると、興味深いことがあった。
上の写真は夏に台湾の九份を訪れた際に撮ったものだが、例えばこういう一枚を眺めていると音や匂いが鮮やかに蘇るのだ。
路地は狭く、日覆いで覆われているため、細い路に様々な音――行き交う旅行客の会話や靴音、また店の人の呼び込みの声や店が流している音楽、料理店の皿が重なる音など――が反響しながら入り混じり、柔らかい喧噪を響かせていた。
路地は埃っぽく、両脇の店から流れる料理の匂いや行き交う人々の汗の臭いなどが渾然となり、淀むように漂いながら西日に溶けこみつつ、九份の路地を彩っていたように覚えている。
かような記憶が九份の写真から湧き上がるのは、映された路地の雰囲気や人々の様子もさることながら、個人的には夕暮れ近くの西日の色合いが大きいのかもしれない。
九份を訪れた日は午後も遅い頃で、路地の日覆いの隙間から西日が路地に射しこみ、あまりの眩しさに目を細めながら歩いたのを覚えている。南国らしい西日の強さが印象に残ったためか、この写真の夕方の光の色合いを見ると、瞬間的にその時の記憶が蘇り、路地に響く音や漂う匂いを思い出してしまうというわけだ。
以前はこういった写真を見ても音や匂いについての記憶はさほど鮮明でなかったが、最近は写真に写された風景そのものより、明確に写っていない聴覚や嗅覚の記憶の方が鮮やかに蘇り、その場に一瞬立っている気すら感じることが増えてきた。
こういった写真を通しての体験に自分ながら驚き、最初は不思議に感じていたが、ある時、ふと気付いたことがあった。
2020年春から旅行をしていないためでは、ということに思い当たったのだ。
2年前から家や近所、大学を行き来する生活が続いているため、「旅」の音や匂い、光の具合といった五感に敏感になったためかもしれない。
逆にいえば、以前はどこかへ出かけたり、旅行したりすることも自然に出来たため、「旅」独特の音や匂いをそこまで意識しえなかったのだろうか。
かようなことに思い至った時、なるほどと感じるものがあった。「旅」のきめ細かい感触や肌合い、つまり音や匂いといった記憶の襞の深さは、ただその場で体験すればよいというのではなく、「旅」を「旅」として発見しなければ味わいえないものなのだろう。
【次回は3月30日ごろ配信予定です】
【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生れ。近現代俳句研究、愛媛大学准教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。
【「趣味と写真と、ときどき俳句と」バックナンバー】
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