百合の香へすうと刺さってしまいけり
平田修
(『白痴』1995年ごろ)
長らく取り上げてきた句群『白痴』も最終盤に差し掛かっている。掲句は最後から二番目に配置された鮮烈な百合の句。真白く大きな花弁やその強烈な芳香によってその存在感を私たちに強く印象付ける百合はなるほどどこか凶器のようであり、刺すという措辞にも納得がいく。あわやここで鑑賞を終えてしまいそうなところであったが、よく見れば用いられている助詞は「へ」。掲句では百合の香が己を刺すように立ちのぼるのではなく、自分”が”百合に刺さってしまっているのだという。
主体と客体の逆転は平田句によく見られる手法(もっとも、技巧的な研究の痕跡を汲み取りづらい彼の句においてそれは手法というより”特性”とでも呼ぶべきかもしれない)ではあるが、掲句の様相はどこか異なっている。たとえば過去に取り上げた〈切り株に目しんしんと入ってった〉〈まくら木枯らし木枯らしとなってとむらえる〉に典型的だが、彼の句において主体と客体(天然の構造物であることが多い)はしばしば別個の物質としての関係性を放棄し、半ば溶け合っているような独特の並置関係を構築する。どこまでが自分でどこからが他であるのか。あるいはいま自分が抱える感情のうちどれだけの質量が本当に自分のものであると言えるのか。そうした境界線をあいまいに描き出すことで生まれる浮遊感が平田句の特長であった。
掲句からもそうした感覚を全く得られないわけではないが、どこか違った読後感があるのはなぜだろうか。それはおそらく「刺さる」という動詞のはたらきゆえであろう。刺すという語はなんらかの鋭い物体が他の物体に孔を開け、その内部へ入り込んでいくイメージを持っている。つまり刺すという語において動作を成す二物は物理的な作用と反作用の関係にあり、刺すものと刺されるものが対立的な立場で存在していることになる。刺すという動作ではその最中や事後においてまでも、主体と客体が別個の存在であり続けていないと矛盾が生じるのである。これは先ほど述べた「溶け合う並置」とでも呼ぶべき他の平田句に見られる特性とは同居し得ない。百合は最後まで百合であり、そこに刺さりゆく自分もまた最後まで自分自身なのである。そうしたドラマティックな二物の関係の中にもどこか妙な静謐さを感じるのは、「すうと」というオノマトペが一句の世界に無音の空間を作り出しているためであろうか。
(細村星一郎)
【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
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