無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修【季語=トンボ(秋)】

無職快晴のトンボ今日どこへ行こう

平田修
(『曼陀羅』1996年ごろ)

自分はいわゆる無職、つまり学生でもなく定職を持たないという状態になったことがない。ゆえに平田のこうした句を自分に引き付けて読むことが難しいのだが、強いて言えば転職の際に生じた1ヶ月ほどのインターバル期間はかなり「無職」に近い状態であったように思う。無職度が高い点として、ブラック気味な前職ゆえに有給消化という概念がなく、一般的な転職と異なりほんとうに無給の1ヶ月を過ごしたということが挙げられる。いつ何をしても良いという意味ではかなり自由な期間ではあったものの、お金を使うアクティビティには少々及び腰になる。無論お金がまったくないわけではないのだが、毎日遊びに行ったり酒を飲んだりしているようでは当然お金はなくなってしまうからだ。そうした意味で、思ったより自由ではなかったのが当時の感想だ。

思えば、完全な自由というのはほぼ存在しないと言ってもいいのかもしれない。小学生の頃などは今よりも1日が長く、精神的にも(そして、実際に)どこにでもゆけるような自由さがあったわけだが、しかし自分で自由に使えるお金というのも持っていないので、実際のところできることは限られていた。幸いにも僕が当時住んでいた都城という場所は田舎だったからお金の必要な遊びはほとんどなく、公園に行くくらいしかやることはなかったわけであるが。一方で自分でお金を稼いで暮らしている現在は、無論お金が無限にあるわけではないが、そのお金をどう使うかという点においてかなり自由だ。旅行をしてもいいし、酒を飲んでもいいし、投資やギャンブルに使ってもいい。それは非常に魅力的な響きのようだが、その対価として労働というものに身を浸し込んでいる。つまり金銭的な自由は、時間的な自由とトレードオフなのだ。

となると宝くじを当てたり遺産を相続するなどの形で不労所得を得られれば真の意味で自由になれるような気がするものだが、彼らの話を聞くところそうでもないようだ。アメリカでは宝くじの高額当選者が軒並み破産しているというデータもあるようだし、仕事柄付き合いの多い経営者や名家の出身者も彼らなりの苦労やしがらみに絡まって決して身軽ではないようである。自由とは、いったいどこにあるのだろうか。

平田の句からは、もはや存在しない概念にすら思える「自由」という言葉のエッセンスが感じられる。彼も金銭的には常に十分とは言えない様子ではあったものの、というかそもそもどのような生活を送っていたのかは知らないけれど、少なくとも彼の俳句にはその欠片がある。どこから来てどこへ行くのかもわからないトンボを見送りながら、今日の行き先を考える。むしろ足が先に外へ飛び出していて、歩きながら行き先を考えているのかもしれない。少なくともこの瞬間において、人は限りなく自由である。自由というのはきっと、心のなかでしか存在し得ない概念なのだろう。それは空気に触れるとたちまち消えてしまうから、人から譲り受けたりお金で買ったりできる類のものでもない。自分の中で、ゆっくりと育てていくしかないのである。

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。



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>>〔35〕死に体にするはずが芒を帰る 平田修
>>〔34〕冬の日へ曳かれちくしょうちくしょうこんちくしょう
>>〔33〕切り株に目しんしんと入ってった 平田修
>>〔32〕木枯らし俺の中から出るも又木枯らし 平田修
>>〔31〕日の綿に座れば無職のひとりもいい 平田修
>>〔30〕冬前にして四十五曲げた川赤い 平田修
>>〔29〕俺の血が根っこでつながる寒い川 平田修
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