麦打の埃の中の花葵 本田あふひ【季語=花葵(夏)】


麦打の埃の中の花葵

本田あふひ()(星野立子)


東京は梅雨入りしないまま、かといって緊急事態宣言をどうするかも、オリンピックをどうするかも(これを書いている段階では)決まらないまま、そう、宙ぶらりんな金曜ですよ。

それにしても、効き目の薄いものを重ねると効き目が増すんでしょうか。筋トレみたいなものでしょうか。延長するのはいいけれど、中身を変えたりはしないんでしょうか。

本田あふひは明治八年、伯爵・坊城俊政の娘として生まれたとある。この句集はあふひの没後、あふひが世話をしていた句会の意思で編まれたものと虚子の序文に書かれている。納められているのは百五十句ほど、大正五年から昭和十四年まで二十年余りの句業に対して多いとは言えない。

 麦打の埃の中の花葵

掲句は昭和七(1932)年の句、先週取り上げた占魚が「麦秋や光なき海平らけく」と言った十年前のこと。麦は梅雨に入る前にこそ刈るというのは、その時と変わらずだろう。この句での麦は何とか梅雨の前に収穫されて埃を上げて麦粒にされている。その埃の中の、花葵。

葵の花はこの季節に咲くもので、言うまでもなく、あふひ自身の俳号とかかわりのある花。「麦打の埃」までを、何かの比喩としてそれに囲まれたあふひ自身と捉えることもできるだろうけれど、ここではそこまでを探らない。ただ、すくなくともこの句の中で「花葵」は一つの焦点であるということは言える。

そろそろ俳句を作る方であれば、気になりだすのが「麦打」と「花葵」の二つの季題の関係性だ。俳句の用語で言えば、そう、「季重なり」あるいは「季重ね」の句なんである。

これを読んでいる方の中には、「「季重なり」ってタブーなんじゃないか」というような了見の方は、もう、いないかもしれないけれど、タブーではなくても気になることは気になるかもしれない。個人的に考えれば、「季重なり・季重ね」には、おおまかに2つのフェーズがあって、だいたいにおいては、重なっている季題のひとつがその句における季題であって、そのほかは、ほかの句の中では季題となることもあるけれど、その句の中では季題としての「フォース」を使わずにいる言葉となる。

もうひとつのフェーズは、掲句のような場合。中心点という意味では、「花葵」がこの句の中心季題であるようだけれど、そのときしかないという刹那性を持っているのは「麦打」の方だ。そういう意味で、どちらも今頃の季題である「麦打」と「花葵」」は、いずれもこの句の季題ともいえ、この句は拮抗した(?)「季重なり・季重ね」の句と言える。

そもそも、あふひの句には「季重なり・季重ね」の句がかなりある。

 暁や瓜に張りたる蜘蛛の糸

の、瓜と蜘蛛の糸。おそらく季題は「蜘蛛」。

 蟬とまる日除の紐のくゝりめに

の「蟬」と「日除」。どうかな、個人的には場所を示す「日除」より、それにとまる「蟬」に軍配。

 蝶々を紙に包みて木下闇

の「蝶(春)」と「木下闇」。年間を通して見られ、また、紙に包まれてしまった「蝶」よりは、夏だけに存在感を見せる「木下闇」が季題か。

というように、結局はどの言葉を以て、この句の表現が作り出されたかということなのだけれど、「麦打と花葵」の句は、なかなかにその判断が難しい。

どちらが季題でも、東京が梅雨に入っても入らなくてもいいけれど、そのほかのことにはそろそろ決着がつく週末となりますように。

『本田あふひ句集』(1940年)所収

阪西敦子


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【執筆者プロフィール】
阪西敦子(さかにし・あつこ)
1977年、逗子生まれ。84年、祖母の勧めで七歳より作句、『ホトトギス』児童・生徒の部投句、2008年より同人。1995年より俳誌『円虹』所属。日本伝統俳句協会会員。2010年第21回同新人賞受賞。アンソロジー『天の川銀河発電所』『俳コレ』入集、共著に『ホトトギスの俳人101』など。松山市俳句甲子園審査員、江東区小中学校俳句大会、『100年俳句計画』内「100年投句計画」など選者。句集『金魚』を製作中。



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