初蝶や働かぬ日と働く日々 西川火尖【季語=初蝶(春)】

初蝶や働かぬ日と働く日々

西川火尖
『サーチライト』より


これは誰しもが思うことであろうし、しかし、いい大人はわざわざ口に出すことすら憚られることでもあろうが、ここで敢えて言わせてもらいたい。

できることなら仕事や生活の中での鬱陶しい雑事のことなど気にせず、好きなこと、俳句や旅のことだけを考えて生きてゆきたい、と。それが出来たらどれほど気楽だろう。

日々の中で苦しい局面を迎える度に、子供じみた詮無いことであるとは分かっていながら、ついついそう考えてしまう。

だが一方でいつも思うことは、自由の効かない時間があるからこそ、たまの休日のありがたみも感じられるのだろうということだ。稀少なものであるからこそ、その時間を大切にできるし、その一日の濃度をできる限り密なものにしようと思える。

少なくともぼくの場合は、そのような意識のもとで休日には可能な限り外に足を踏み出し、結果としてそれが旅になっていたりもする。

これから鑑賞してゆく一句は、そんな「制約のある日々」の中に、かすかな光明を見出した作品である。

初蝶や働かぬ日と働く日々 西川火尖

掲句、わずかな休みとその数倍の労働の日々を並列に並べつつ対比し、現代社会をシニカルな視点から詠み込んだ句のように読める。だが「休日」と書かず「働かぬ日」とした表現には、延々と続く労働で磨り減ってゆく人間の魂のようなものが垣間見えるようでなかなか苛烈だ。

今日が仮に「働かぬ日」であるからといって、それがそのまま「休日」になるとは限らない。「仕事」をせずに済む日であっても、ぼくたちが人間として社会の中で文化的に生きてゆくためには、常に何かに対処し、配慮し、バランスを取ってゆく必要がある。

そしてそんな忖度の連続に、知らずしらずぼくたちの精神は疲弊してゆく。心の底から安息を感じられる、本当の意味での「休日」がぼくたちの日常にどれだけあるだろう。

ただ、掲句には幸いにも「初蝶」という救いがある。

働かぬ日と働く日々の境目にひらひらと迷い込んできたような一頭の初蝶に意識を向け、気付くことができているうちは、この句の作中主体はまだ正気を保てている。

もしかしたらこの「働かぬ」の内には、単に状況の説明に留まらず、自己意志の発露としての労働の拒絶、今日だけはこの初蝶と同じようにあらゆるものに自由を奪われないというささやかな抵抗が隠されているのかも知れない。

現代に於ける労働哀歌のようでいてしかし、その裏側にたまに見え隠れする自由の象徴としての初蝶。

寸暇を縫っては短い旅を繰り返すぼくにとって、この初蝶の存在こそがこの句をとても特別なものにしてくれている。

掲句の作者である西川火尖さんは、ぼくの所属結社「炎環」の先輩であると同時にぼくにとって文字通り人生で初めて出会った俳人でもある。仕事のみならず子育てにも奮闘している世代の方だが、短詩同人誌「Qai」や「子連れ句会」を立ち上げられるなど結社外でも幅広く活動されている。

そんな火尖さんには学生時代から書き始めた個人ブログ(『そして俳句の振れ幅』)がある。

何を隠そうぼくはそのブログの愛読者でもあるのだが、火尖さんが若かりし頃(今でも十分若いけど)の記事を読むと時々「旅」について書かれたものを目にすることがある。

例えば北海道を旅された後、夕暮の小樽港から京都へ帰るフェリーの船上で書かれた記事などは非常に旅情があり読み応えのあるものなのだが、そういったものを読むと「この人、本質的にはかなり旅が好きな人なのだな」と思えてきて勝手に親近感を抱いたりもした。

実際、関西出身で西と東を何度も往き来している火尖さんの中には、「移動」という行為を通してそういう旅好きのメンタリティのようなものが確実に養われているように思える。

私小説のような句や社会詠と呼ぶべきメッセージ性の強い句が多く並ぶ句集『サーチライト』の中にも、いくつかそのような一端が垣間見える作品が見かけられる。

歩き疲れては吹きたる石鹼玉 西川火尖

ろろろろと春満月へ向かふバス 同

紙芝居みたいに春の海へ着く 同

鶏頭の少なき町に移りけり 同

繰り返し繰り返し冬の川渡る 同

今は初蝶の掲句のように一家の大黒柱として、そして俳壇という舞台で活躍される優れた書き手として忙しない日々を送る火尖さんだが、そんな多忙な日常を詠んだ句の中で、逆説的に「自由」を感じさせてくれる希有な作品をこの先もたくさん残してほしい。

内野義悠


【執筆者プロフィール】
内野義悠(うちの・ぎゆう)
1988年 埼玉県生まれ。

2018年 作句開始。炎環入会。
2020年 第25回炎環新人賞。炎環同人。
2022年 第6回円錐新鋭作品賞 澤好摩奨励賞。
2023年 同人誌豆の木参加。
    第40回兜太現代俳句新人賞 佳作。
    第6回俳句四季新人奨励賞。
俳句同人リブラ参加。
2024年 第1回鱗kokera賞。
    俳句ネプリ「メグルク」創刊。

炎環同人・リブラ同人・豆の木同人。
俳句ネプリ「メグルク」メンバー。
現代俳句協会会員・俳人協会会員。
馬好き、旅好き。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2025年3月のハイクノミカタ】
〔3月1日〕木の芽時楽譜にブレス記号足し 市村栄理
〔3月2日〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
〔3月3日〕走る走る修二会わが恋ふ御僧も 大石悦子
〔3月4日〕あはゆきやほほゑめばすぐ野の兎 冬野虹
〔3月5日〕望まれて生まれて朧夜にひとり 横山航路
〔3月6日〕万の春瞬きもせず土偶 マブソン青眼
〔3月8日〕下萌にねぢ伏せられてゐる子かな 星野立子
〔3月9日〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
〔3月10日〕逢ふたびのミモザの花の遠げむり 後藤比奈夫

【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩
〔2月22日〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
〔2月23日〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
〔2月24日〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
〔2月25日〕時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子
〔2月27日〕お山のぼりくだり何かおとしたやうな 種田山頭火
〔2月28日〕津や浦や原子爐古び春古ぶ 高橋睦郎

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