ハイクノミカタ

春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ 河野多希女【季語=春の雪(春)】


春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ

河野多希女
(『琴恋』)

 春の雪というと真っ先に思い出すのが、三島由紀夫の『春の雪』である。華族の松枝清顕にとって、綾倉聡子は、幼馴染みで年上の優雅な令嬢。自尊心の強い清顕は、聡子の想いを感じながらも冷たい態度を取ってしまう。その聡子に宮家との縁談があった際も突き放してしまう。縁談は進み聡子は宮家の婚約者となる。失って始めて気付く恋心とでもいうべきか、清顕は、聡子への想いを募らせ、禁断の逢瀬に誘う。聡子もまた清顕を忘れられず、逢瀬を許してしまう。その果てに聡子は身ごもってしまうのだが…。

 雪の日の逢瀬の場面で二人は、清顕が持ってきたスコットランド製の膝掛を覆っていた。雪片が清顕の眉に飛び込んできたことを「あら」と告げる聡子。清顕が顔を向けると、聡子は急に目を閉じた。「膝掛の下で握っていた聡子の指に、こころもち、かすかな力が加わった。清顕は自然に唇を、聡子の唇の上へ載せることができた。」

 宮家の婚約者となった聡子と清顕の禁断の関係の始まりであった。膝掛の下で手を握り合っていたのが印象的である。

 川端康成『雪国』では、主人公の島村は、関係を持った駒子に逢いにゆく列車のなかで、「結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている」と回想する。さらには、「この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていた」と述べる。それは、女性のどこの感触?しかも匂い嗅ぐの?と大人にしか分からない記述が続く。そして駒子との再会の第一声は、「こいつが一番よく君を覚えていたよ」と人差し指を突き出す。駒子もまた照れながら島村の指を受け入れる。駒子、大人だ。

 松本清張の短編小説『指』は、デザイナー志望のホステスの弓子がバーのマダム恒子と知り合い、レズビアンの関係となる。恒子は、資産家の小沢誠之助の愛人であったが、弓子が米兵からマスターしたという愛の技術に溺れてしまう。恒子の束縛に嫌気がさした弓子は、距離を置き二人は別れる。その後、弓子は資産家の小沢誠之助の次男と恋仲になり、かつての恋人である恒子の住んでいたマンションに住まうこととなる。恒子は、小沢誠之助の死後自殺していたが、管理人は二人の関係を知っていた。恋人に過去のレズビアンの関係を知られることを恐れた弓子は、管理人の首をメジャーで締め殺してしまう。恒子より譲り受けたチワワ(原文:シーワワー)も全てを見ていたという理由で殺してしまう。その後、恋人から贈られたチワワにも過去を見透かされているように感じ殺してしまう。それが、捜査一課に踏み込まれる要因となるのだが。

 執筆当時は高級犬であったチワワや、凶器がデザイナーの使うメジャーという小物遣いの上手さは、松本清張ならではだが、レズビアンのインパクトも凄い。しかもタイトルの『指』はどこで回収されたのかが分からず想像が膨らむ。

 2006年にドラマ化された際の主役は後藤真希。このドラマでは、原作を大きく脚色し、弓子は女優を目指しながらレズビアンバーでバイトをしている。野心家の弓子は、劇団の看板女優の美穂よりオバサンのコマし方を伝授され、その技術を持って資産家の恒子を陥落さる。パトロンになった恒子は、弓子と美穂の関係に嫉妬し自殺。その後、弓子は有名女優となり映画監督と婚約するが、復縁を望む美穂にレズビアンの過去を脅迫されてしまう。女優の花道を歩みたい弓子は、過去を消すために美穂を殺してしまう。ドラマでは凶器がストッキング。チワワもストッキングで絞め殺される。事件を追うのは、駆け出しのレポーター香織。香織は、真相を知るためレズビアンバーのママと関係を結ぶ。その時ママが「女はね、指で愛し合うのよ」と言って香織の指を口元に引き寄せ、吸い込むシーンがドキリとする。ドラマでは、レズビアンの愛撫の象徴として指が描かれているが、私にとっては今も『指』というタイトルは、謎のままである。

 指先は、唇よりも最初に恋する相手に触れることのできる身体の一部だ。恋に落ちる前のさり気ないボディタッチから始まり、デートの際は、繋いだ手に指を絡ませると恋が加速してゆく。男女の指と指との交流は、その先にある肉体的な繋がりへと誘う導火線となる。

 竹内まりやの「カムフラージュ」では、〈瞳と瞳が合って指が触れ合うその時 すべての謎は解けるのよ〉と歌っている。関係を結んだ後も、指は活躍し続ける。伊東ゆかりの「小指の想い出」(作詞:有馬三恵子 作曲:鈴木淳)では、〈あなたがかんだ小指が痛い〉から始まり〈小指がもえる〉と歌われている。恋が終わっても、指には恋人の記憶が残る。Winkの「夜にはぐれて~Where Were You Last Night~」(アンキー・バッガーのカバー曲 日本語詞:及川眠子)でも〈指先が忘れない愛の糸たぐりよせる〉と歌っている。

 指は、恋の始まりから恋の終わりまでの全てを記憶しているのだ。弓子のレズビアンの情事も、管理人を殺める時にメジャーに絡めた指先も目撃していたチワワのように。

  春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ   河野多希女

 作者には、〈朧夜の五指しなやかに火をつかひ 河野多希女〉〈酔ざめや髪を眠らす指の冷え 河野多希女〉という句がある。女性にとって指先は、火を扱うものであると同時に冷えを感知するものであることが詠まれている。恋の熱も冷えも指先が知っている。

 指先は、いつも何かを触れたがる。春の雪は柔らかく淡く、消えやすきもの。触れれば冷たいが、温もりを感じさせる。『古事記』の八千矛の神も〈沫雪(あわゆき)の 若やる胸を〉と詠んでいる。女性の豊満な肉体を思わせる春の雪。女性にとってもまた、安らぎを感じさせる男性の温もりが春の雪にはあるのかもしれない。あの胸板を指で撫でたいと想うこともあるであろう。

 春の雪は大粒で、あっという間に地を覆う。どこまでも深く沈んでゆくような錯覚がある。すぐに消えてしまうと知りながらも、逢瀬の瞬間は、その深みにどこまでも沈んでいきたい。

 梅が咲き初め、木の芽が膨らむ春への期待感のなかで降り積もる春の雪。淡く儚い恋が熱く疼いている。恋する人を想う指先の熱さを知られてはいけない。家族にも友人にも、恋する人にも。密かに秘めた情念が今、指先に集中しているのだ。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

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>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
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