私ごと抜けば大空の秋近い 平田修【季語=秋近い(夏)】

私ごと抜けば大空の秋近い

平田修
(『白痴』1995年ごろ)

掲句は『白痴』最後の収録句。これにて、保存されている中でまだ紹介していない平田の句群は1996(平成8)年に発表された『曼陀羅』52句と、わずか6句のみが収録された『卯月野』を残すのみとなった。『海に傷』『闇の歌』『血縁』と続いてきた平田修という作家の”発掘作業”にも、一つの区切りが見えてきたというべきか。この私的な試みは、いつか何らかのまとまった形に再構成をしたいと考えている(という、未来の自分の行動を過去の宣言という強制力によって規定するためのリマインダである)。

『白痴』全体を通して感じるのは、それまでの句群と比較した際に(あるいは、しなくても)感じる妙な爽やかさである。思考と内省に没するあまりに他者や社会という背景を捨象し、極限まで単純化された自己の思考、そして自然との関係性を描き出してきた平田の俳句。鬱屈とした思索を深めるばかりであった句群が、『白痴』の後半にさしかかると、ちょうど負の数に負の数をかけ合わせたような底抜けの明るさを急激に獲得する。『白痴』という句群はある意味で、彼が作家として見せた一つの到達点であると言っていいだろう。

掲句は句群の最後に配されているだけあって、これまでに彼が見せてきた特徴がふんだんに用いられたある種の典型的な一句である。「私」を何かと一緒に「抜く」という主体不明の動詞。そこからまるで芋を掘り当てて後ろへ転げたときの視界のような唐突さで現れる「大空」。明確な切れは無く、最後まで主体と客体が溶け合ったまま秋の気配を示唆する独特のリズムである。プラグマティックに読めば、こうした彼の句はほぼ何も言っていないに等しい。何も言いおおせていないのだが、彼の句がいわゆる”ただごと俳句”と決定的に異なっているのは、句に直接的に現れる自分の強烈な存在感とそれゆえに溢れ出る感情のゆらめきである。

次回から取り上げる句群は『曼陀羅』へと移行する。最晩年の作品からは何が見えるのか。まだ見ぬ「私」や「俺」に出会ってしまうことが少し怖いようで、楽しみでもある。最後に大石和子さんにご提供いただいた平田さん(下)と雄介さん(上)の写真を一枚紹介して、結びとしたい。多くを語る必要はないだろう。二人のどこか気恥ずかしいような笑顔が印象的である。

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。



【細村星一郎のバックナンバー】
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