卒業の歌コピー機を掠めたる
宮本佳世乃
アメリカの学年度、アカデミックイヤーは9月中旬に始まり、卒業式は5月から6月にかけて行われるため、今この時期の学生たちに卒業気分は全くないが、筆者は学生時代を日本で過ごしたため、卒業期といえば3月であり、その記憶は春の空気感と共にある。
〈卒業の歌〉は仲春の季語である「卒業」の傍題「卒業歌」。この句跨りの上七〈卒業の歌〉で切れ、それに続く、完了・継続の助動詞「たり」の連体形を伴った下五〈掠めたる〉を持つ中五下五〈コピー機を掠めたる〉は「コピー機を掠めた」「コピー機を掠めている」という意味で上七〈卒業の歌〉を修飾し、「コピー機を掠めたる/卒業の歌」が倒置されたかたちで仕上がっている。
卒業歌で、すぐに耳に浮かぶのは「蛍の光」や「仰げば尊し」。〈コピー機〉から、卒業歌が聞こえてきている句中の場面は、卒業の式場ではなく、同じ校内のコピー機のある事務関係の部屋などであろうか。
句中の〈卒業の歌〉と〈コピー機〉、この音と事務機材だけを手がかりに、詩的な表現である〈掠めたる〉から音量を想像し、式場との距離を想像し、この歌が、式場を離れて他の部屋まで広がってゆく、その時空感を味わう。
繰り返し読んでいるうちに〈コピー機〉の傍らで、この歌を聞いている人物がおのずと現れてくる。
おそらく卒業生ではない、もう成人している人。かつては卒業を経験しているその人。そのうち〈掠めたる〉から垣間見える、その人の心情も想像されてくるだろう。
掲句を読み返すたび時間差をもって見えてくる、音が描き出す時間と空間、登場人物、その人の卒業への心理などが印象的で、それらが相待って、卒業に対する、一見ドライで後からゆっくり沁みてくる淡い色合いの新しい感慨が生まれていて魅力的だ。
言葉はときに、声高に言いすぎしてしまい、その途端に、何かが逃げてしまいがちなのだが、掲句から受ける印象は、静かでほのかで、作者が言葉と一緒に呼吸していて、言葉が、言いすぎることで言葉自身を傷つけることのないようにしているような慈しみを感じる。
言葉の声を聞き、言葉の心を思いやる。言語というアイデンティティーに寄り添う感受性。筆者にそんな言葉がやってきた。
(月野ぽぽな)
【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino
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