春深く剖かるるさえアラベスク
九堂夜想
九堂夜想「アラベスク」は掌より少し大きいくらいの句集だ。測ってみると約15㎝×9㎝。通常の句集よりずいぶん小さく、三五判というそうだ。縦長の黒い表紙にはエンボス加工による薄い凹凸があり、そこに暗めの金で題字が入れてある。紙の質感もあいまってどこか瀟洒な印象。
「春深く剖かるるさえアラベスク」は、句集冒頭の句をひいた。
「開く」でなく解剖の「剖く」が使われているので、ひらかれるのは人体や脳、思考といったものかなと思う。春が爛漫と深まっていくとき、内側にエネルギーの満ちみちたときに、不意にぱつんと他者によって剖かれる肉体や思考。内側に満ちていたもろもろは傷口から、突破口を得たように溢れ出すだろう。溢れるものは、どこか無限を思わせる幾何学的な模様のつらなりである。
自分の内部にこごっていたアラベスクのような無限の光が、裂け目を得たことによって外界に向かってあふれていくようなイメージで読んだ。句の主体がひらく側ではなくひらかれる側であることもこの句に耽美的な陰影を与えている。
そして、はる・ふかく・ひらかるる、とかろやかな溜息のような音韻。読み下したときの音楽のような美しさ。
みずうみを奏でる断頭台なれや
冬麗の髪もて劫を織るらんよ
巻貝は幽きエコーを星の航
鳥の王いや時間軸軋むらん
特に好きな句を引かせていただいた。単純に読み解けない句がほとんどで、景色は一つには決まらない。語彙がもとの意味を超えて使われていたり、文法として理解しづらい(たぶんあえてそう書かれている)部分もある。だが読んでいると徐々に、この世のものではないと思われる光景がおぼろげに立ち上がってくる。
たとえば2句目では劫は永劫のことだろう。晴れた冬の日の透き通った空気を凝縮させたような髪で織られる永劫。3句目の、巻貝のらせんの中をかすかな音をたてて進んでゆく星の光。
これらの句群は強い美意識と、絶対にありふれた景は紡がないという意志に支えられている。この世と別の世のあわい、裂け目から、この世に落ちてきたような句集だと思う。
(佐々木紺)
【執筆者プロフィール】
佐々木紺(ささき・こん)
1984年生、「豆の木」同人。2022年、第13回北斗賞受賞。2023年、「雪はまぼろし」20句で豆の木賞受賞。2024年、句集「平面と立体」刊行、島根「書架 青と緑」で展示「夜の速度」(山口斯×佐々木紺)。俳句一句の入った小箱「haiku souvenir」(紙屋)発売中。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【2025年3月のハイクノミカタ】
〔3月1日〕木の芽時楽譜にブレス記号足し 市村栄理
〔3月2日〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
〔3月3日〕走る走る修二会わが恋ふ御僧も 大石悦子
〔3月4日〕あはゆきやほほゑめばすぐ野の兎 冬野虹
〔3月5日〕望まれて生まれて朧夜にひとり 横山航路
〔3月6日〕万の春瞬きもせず土偶 マブソン青眼
〔3月8日〕下萌にねぢ伏せられてゐる子かな 星野立子
〔3月9日〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
〔3月10日〕逢ふたびのミモザの花の遠げむり 後藤比奈夫
【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩
〔2月22日〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
〔2月23日〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
〔2月24日〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
〔2月25日〕時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子
〔2月27日〕お山のぼりくだり何かおとしたやうな 種田山頭火
〔2月28日〕津や浦や原子爐古び春古ぶ 高橋睦郎