花の影寝まじ未来が恐しき
小林一茶
(句帖写 文政10年)
教科書風に訳せば、「桜の花の下では寝るまいよ。未だ来たらぬものを思うと恐ろしいのだ。」というくらいか。「未来が恐しき」という措辞にインパクトがあって、巷間知られる一茶の句風とは一線を画すように思われる。また、発句で「未来」を使ったのは一茶が最初なのだろうか、とか、この「未来」は現代人の一般に使う意味での未来なのか、辞典類にある来世などの意味の未来なのか、とか、いろいろと疑問は沸く。
一茶には掲句よりも10年ほど前に詠んだ「寝て涼む月や未来がおそろしき」「けふは花見まじ未来がおそろしき」があって、中間切れにして上五と中七の前半のみを入れ替えているので、この「未来がおそろしき」という措辞になかなかのこだわりがあったと見える。そして、これら三句を通して読むと、この「未来」は現世における未来のことなのだろう。
この句は、文政10年(1827)年の夏、柏原を襲った大火で家を焼け出され、焼け残った土蔵で暮らしていた作者最晩年の作であり、句帖には「耕ずして喰ひ、織ずして着る体たらく、今まで罰のあたらぬもふしぎ也」と前書がある。どうやら一茶は、農耕に携わることなく、その上がりで収入を得て暮らしていることに負い目があり、因果応報の念に囚われていたようである。「未来」も仏教的に考えれば過去の所業の反映だから、一茶の自意識のなかでは年々歳々未来は恐ろしくなっていったのかもしれない。しかもこの年の冬に本当に急逝してしまうので、いやな予感が的中してしまったことになる。
けれども、この前書を読むと、どうも人に読ませる気満々であったような印象である。そもそも、この句は桜の季節に詠まれていないのだから、翌春の花の頃に世に出すつもりだったのではなかろうか。そう遠くない未来の死を畏怖しつつ、死ぬ気などさらさらない、というのは、老いを自覚している人間一般におしなべてある感情ではないかと思う。あいにく一茶は本当に亡くなってしまったけれど、三度目の正直というべきか、10年分老いて詠んだ掲句が三つのなかではもっともうまく収まり、言葉の強度が強いように思う。
この句は、先行するテクストである西行「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」を元に、西行とは真逆の、死にたくないという願いを割と露骨に述べてある。この時、先の二句にはなかったとてもわかりやすい典拠を踏むことをなんで一茶はやったのだろうか。見ようによっては嫌味にも見えるのだけれど、この句を詠んだ時の一茶の年齢と西行がこの歌を詠んだ年齢がほぼおなじで、西行はその後さらに十年生きたことに気付くと、あと十年は生きたいという思いが暗に込められているのかもしれない。句のイメージと違ってなかなかのインテリだった一茶なら、そこまで念頭において句を詠んでいそうな気がするのだけれど。
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。