緋のカンナ夜の女体とひらひらす 富永寒四郎【季語=カンナ(秋)】


緋のカンナ夜の女体とひらひらす

富永寒四郎
(『明日』)

作者は大正2年、佐賀生まれ。昭和15年、27歳の頃より俳句を始める。地元の句会などを経て加藤楸邨主宰の「寒雷」に入会。同門の森澄雄と交流を持ち、生涯の友とする。地元の佐賀では、高校教師をしつつ同人誌の「菱の花」や「偏西風」を出した。40歳の頃に『明日』を出版。戦中、戦後、闘病を経ての句集であり、妻子への強い想いも詠まれている。昭和45年、森澄雄の創刊主宰の「杉」へ入会。俳号の「富永寒四郎」を「富永始郎」にし、以後は始郎を名乗る。昭和61年、73歳で死去。亡くなるまで俳句を詠み続け、句会を指導した。地元の佐賀ではいまも慕う俳人が多い。

〈明日メーデーナイフ舐めれば鉄の味 寒四郎〉〈革命歌月せりあぐる風の芽木 寒四郎〉。人間探求派の加藤楸邨に師事した若き日の句である。戦中戦後を生き抜いた闘う心が感じられる。

森澄雄とは、俳句の交流だけではない。戦後、実家のある長崎で通訳の仕事をしていた澄雄に佐賀県鳥栖高等女学校の英語教員の職を斡旋している。長崎と佐賀は、隣県であり戦前から句会を共にしていた。軍港のある長崎は、空襲や原爆があり、その被害は佐賀にも及んだ。ボルネオから復員した澄雄にとって寒四郎は句友以上の存在、盟友となっていった。

掲句は、若い時の作と思われる。温暖な気候と貿易で栄えた佐賀の港町には、早くからカンナが植えられていたのだろう。戦後、米軍基地となった佐世保から発信されたアメリカ文化は佐賀にも広がった。米兵のためのキャバレーに行くこともあったのかもしれない。異国情緒のある真っ赤な花は、ダンサーを思わせる。露出度の高いドレスをまとった女体がひらひらと踊る姿と重なったのだ。あるいは、夜の女の肢体の動き眺める脳裏に昼間見たカンナの緋が過ったのか。

師匠である加藤楸邨に〈炎昼の女体のふかさはかられず〉という句がある。句作の時期の前後は分からない。楸邨の描く女体には、どこまでも指に沈んでゆく肉の感触がある。燃えるような真昼にも関わらず、女の体には闇があり冷やりとした部分があったのだ。女体への神秘さと同時に蟻地獄に嵌ってもがく蟻のような男の戸惑いを感じさせる。

一方で寒四郎の句は、〈緋〉の色と〈ひらひら〉という視覚に終始している。女の闇を触覚で感じるような関係ではないのだ。鮮やかな印象を残しつつもどこか儚げである。捕まえたもののすぐに指からすり抜けてしまう蝶のような女がモデルなのであろう。触覚か視覚かの違いはありつつも〈女体〉を描写した師弟の句には、生々しいエロスがある。

緋のカンナ夜の女体とひらひらす  富永寒四郎

男にとって女体とは、不思議なものなのである。吸い付くような柔らかさ、しなやかさへの羨望が美しさとして映る。ちらちらと隙を見せ誘っておきながら、身を翻す気まぐれもまた魅力的だ。

年下の男友達が夢中になった女はダンサーだった。指名制のナイトクラブでフラメンコを踊っていた。ダンス教室を開きたい彼女にはお金が必要だった。踊りが終われば客席に着き、指名を得るための駆け引きもする。上司に連れられて行った店でひと目惚れをしてしまった彼は、趣味のスキューバダイビングも止めて通った。ある夜、残業を終えた足で最終のダンスショーを見に行った。その日の彼女は、些細な言動から常連客を怒らせてしまったらしく落ち込んでいた。「きっと、わざと怒って君の気を惹こうとしたんだよ。けち臭い最低な客だ」と呟くと、くすりと笑い「店が終わったら飲みに付き合って」と言われた。真夜中の初めてのデート。私服に着替えた彼女は、カクテルを飲む姿も踊っているように見えた。酔っぱらって前後不覚になりながら送っていった部屋は、ダンスドレスで溢れていた。ただ無我夢中で彼女と触れ合った。朝になって帰る際、「また来てね」と手を振ってくれた。彼女の肌に触れることができたのは、その夜が最初で最後だった。次にクラブに行った時には、店の女と客の関係に戻っていた。激しく体を絡み合わせた夜のことは、夢の中の出来事だったのか。何度も交際を迫ったが、笑って胡麻化されるだけだった。しばらくして彼女は、留学するという理由で店を辞めた。電話も不通となり、部屋も引き払っていた。クラブの女の子の話によるとパトロンの出資で地方都市のキャバレーのママになったとか、スペイン人と結婚したとか。誰も彼女の行方を知らなかった。

年下の男友達は、カンナの花が嫌いだ。ダンサーの耳元を飾っていた赤いリボンを思い出すからだ。すらりとした細い体は、自在に揺れてつかみどころがなかった。本名も生い立ちも分からないまま消えてしまった女。帰り際に振ってくれた、ほの赤い指先だけが恋の残像として揺れつづけている。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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