春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修【季語=春の山(春)】

春の山からしあわせと今何か言った様だ

平田修
(『曼陀羅』1996年ごろ)

山から聞こえてくるものといえば、草木の揺れる音や鳥獣の鳴き声である。そしてそれは、万物の生命がその盛りへと向かってゆく春という季節にはことさらだ。あるいは、誰かが発したやまびこが帰ってきたというシチュエーションもありうるだろう。ともあれ春の山というのはわかりやすくシンプルな季語であるが、この句には不思議な点が二つある。

一つは「から」という格助詞だ。詩において文法というのは必ずしも遵守されるべきものではないが、それでも人はまず文法的な正しさでもって記述されていることを前提に読んでしまう。つまり後半に「言った」という自動詞があるからには、その前のどこかにはその動作を行った主体とそれに接続する「が」「は」といった助詞があるはずだ、という読みを無意識的にしてしまうというわけだ。

そのうえで前に戻って掲句を読むと、「から」という助詞が混乱を招く。山から、といえばその山は声の発信源が存在する場所を示すもののように見えるが、肝心のその発信源を示す主語はどこまで遡っても存在しない。ここで提示されたのは「しあわせ」という音のみであり、その声色や音量といったディテールを示唆する要素は秘匿されている(無理やり文法的に補填するとしたら、「何か(が)言った」という補助線を引くことはできるのだろうが)。

もう一つの謎はその「しあわせ」という言葉。先ほど挙げたやまびこでは遠くの山にも届くように「やっほー」などア段・オ段を主体とした語を発することが多いため、やまびこにおいて「しあわせ」という語を発するのはどこか不自然である。というかそもそも誰が発したのかすらわからない語であるから、この部分を分析することの意味はあまりないだろう。誰が(何が)発したものなのか、そして実際に「しあわせ」という言葉だったのかなどということは重要ではなく、ある種の概念的な「しあわせ」がその耳に届いたということだけが掲句に真実として存在する。

先日の句会では意外なことを知った。生前、平田はいわゆる中央俳壇的なもの(さまざまな語弊があろうが、取り急ぎこう呼称する)を多分に意識しており、現代俳句協会の賞などにも応募していたのだという。決して”上手い”俳句というわけではなく、むしろそうした意識とは離れたところで伸びやかに書いているようにすら見えた彼の俳句。結果として何らかの賞を受賞するようなことは叶わなかったわけだが、そうした葛藤のもとで書かれたことを踏まえるとまた違った読み味が現れる。「しあわせ」とは、彼の渇望が生み出した幻聴だったのかもしれない。

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。



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