
絶海の木立ちとあらば縊死思う
平田修
強い言葉の並ぶ句だ。そして正直、僕はあまり良い句だとは思えなかった。しかしこうした句と向き合わざるを得ないとき、むしろ思い至るのは「なぜこういう句を詠んでしまったのか」という過程のほうである。彼が結果として自死を選んだ人であるという事実を読みに取り入れることは簡単だが、それはあまりに早計な組み立てだろう。繰り返すが、そもそも彼の享年は彼が筆を折ってからおよそ10年ほど後であるため、そのことと俳句との連関を論じるのはきわめて無意味なのである。一方で、掲句から「死への希求」とでもいうべき精神状態が強く読み取れるのもまた事実である。
あるいは、これは一般的な死という事象に対する客観的な把握の句であるとも読める。絶海=陸地から遠く離れた海原に木立があるというのは地理的に矛盾する書きようだが、たとえば富士の麓がそうであるように、およそ人の立ち入れないほどに深い森を「樹海」と呼ぶことを踏まえれば、暗く深い木々に対する比喩として自然に読むことも可能だろう。さすれば縊死というイメージへの接続は極めて安直であり、「思う」という輪郭のぼやけた動詞の選択もどこか精彩を欠く印象を受けてしまう。
しかしながら、我々が「死」という事象を思うとき、果たして「思う」以上のことができるだろうか。死とはその性質上実体験を語り得ない現象であり、すべての生きた人間はそれを生命活動の停止という客観的な事実としてしか知り得ない。『ブラック・ジャック』の本間丈太郎先生ではないが、我々が死というものを語り得るものだと断定するのはおこがましいことなのではないだろうか。
「縊死」という言葉をネットで検索すると、こころの健康相談統一ダイヤルという電話番号が一番上に表示される。言うまでもないが、自死を検討している人間がこうした言葉を検索した際のストッパーになるべく搭載された機能である。もちろん自死なんて家族や友人には絶対にしてほしくないことだし、知らない人だとしてもなんとかして思いとどまってほしいものだと思うのは当たり前だ。もし目の前の人がまさにビルから飛び降りんとしている場面を見たならば、ほとんどの人は(半ば反射的に)それを止めようと動くだろう。しかし一方で、自死をするという強い思いを我々が「引き留める」という行為すらおこがましいことなのかもしれない、という意識も、理屈の上では発生する。けれど、それでも、それでも、それでも、である。それでも、ダメだ。
(細村星一郎)
【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
【細村星一郎のバックナンバー】
>>〔81〕絶海の木立ちとあらば縊死思う 平田修
>>〔80〕いちご腐りつ 仏壇 海とひかりあう 平田修
>>〔79〕ひとりしていたら蛍降って来た 平田修
>>〔78〕夕焼へ中晴れていて泣けてたり 平田修
>>〔77〕みどりから四十九灯し出しにけり 平田修
>>〔76〕私を殺やめずに来て夏野原 平田修
>>〔75〕ひと葉からふた葉へぼくを解いてたり 平田修
>>〔74〕骨良しとした私春へ足 平田修
>>〔73〕蓬から我が白痴出て遊びけり 平田修
>>〔72〕五体ほど良く流れさくら見えて来た 平田修
>>〔71〕星が生まれる魚が生まれるはやさかな 大石雄介
>>〔70〕秋や秋や晴れて出ているぼく恐い 平田修
>>〔69〕天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 本間まどか
>>〔68〕ここを梅とし淵の淵にて晴れている 平田修
>>〔67〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
>>〔66〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
>>〔65〕空蟬より俺寒くこわれ出ていたり 平田修
>>〔64〕換気しながら元気な梅でいる 平田修
>>〔63〕あじさいの枯れとひとつにし秋へと入る 平田修
>>〔62〕夕日へとふいとかけ出す青虫でいたり 平田修
>>〔61〕葉の中に混ぜてもらって点ってる 平田修
>>〔60〕あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修
>>〔59〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
>>〔58〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
>>〔57〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
>>〔56〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
>>〔55〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
>>〔54〕ぼく駄馬だけど一応春へ快走中 平田修
>>〔53〕人體は穴だ穴だと種を蒔くよ 大石雄介
>>〔52〕木枯らしや飯を許され沁みている 平田修
>>〔51〕ひまわりの種喰べ晴れるは冗談冗談 平田修
>>〔50〕腸にけじめの木枯らし喰らうなり 平田修
>>〔49〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
>>〔48〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
>>〔47〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
>>〔46〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
>>〔45〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
>>〔44〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
>>〔43〕糞小便の蛆なり俺は春遠い 平田修
>>〔42〕ひまわりを咲かせて淋しとはどういうこと 平田修
>>〔41〕前すっぽと抜けて体ごと桃咲く気分 平田修
>>〔40〕青空の蓬の中に白痴見る 平田修
>>〔39〕さくらへ目が行くだけのまた今年 平田修
>>〔38〕まくら木枯らし木枯らしとなってとむらえる 平田修
>>〔37〕木枯らしのこの葉のいちまいでいる 平田修
>>〔36〕十二から冬へ落っこちてそれっきり 平田修
>>〔35〕死に体にするはずが芒を帰る 平田修
>>〔34〕冬の日へ曳かれちくしょうちくしょうこんちくしょう
>>〔33〕切り株に目しんしんと入ってった 平田修
>>〔32〕木枯らし俺の中から出るも又木枯らし 平田修
>>〔31〕日の綿に座れば無職のひとりもいい 平田修
>>〔30〕冬前にして四十五曲げた川赤い 平田修
>>〔29〕俺の血が根っこでつながる寒い川 平田修
>>〔28〕六畳葉っぱの死ねない唇の元気 平田修
>>〔27〕かがみ込めば冷たい水の水六畳 平田修
>>〔26〕青空の黒い少年入ってゆく 平田修
>>〔25〕握れば冷たい個人の鍵と富士宮 平田修
>>〔24〕生まれて来たか九月に近い空の色 平田修
>>〔23〕身の奥の奥に蛍を詰めてゆく 平田修
>>〔22〕芥回収ひしめくひしめく楽アヒル 平田修
>>〔21〕裁判所金魚一匹しかをらず 菅波祐太
>>〔20〕えんえんと僕の素性の八月へ 平田修
>>〔19〕まなぶたを薄くめくった海がある 平田修
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>>〔17〕純粋な水が死に水花杏 平田修
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