神保町に銀漢亭があったころ【第115回】今田宗男

銀漢亭 vs. 卯波

今田宗男(元「卯波」店主)

卯波を閉めてから日本大使館の公邸料理人としてアフリカへ渡ったのだが、帰国休暇で日本へ帰る度に水内慶太先生が鮨屋へ連れて行って下さった。
海外で和食といえば寿司、天ぷら、焼き鳥なので、鮨を握る機会はとても多い。先生に連れて行っていただく店々で、お店の職人さんに質問をしたり、手元を見せて頂いたりして、それはそれは本当に勉強になった。
先生と一緒に行ったおかげで、皆さんとても快く教えてくださる。
そしてもちろん、アフリカから帰って日本の美味しい魚を食べるのは本当に楽しみだった。
水内先生、どうもありがとうございました。

そうして美味しいものを食べさせていただいた後、先生が連れて行ってくださるのはいつも銀漢亭だった。
卯波を営業していた頃は、営業時間がかち合っていたので、銀漢亭へは残念ながらなかなか行く機会が無かった。
銀漢亭の扉をくぐると、そこには顔馴染みのお客さまが多くいらっしゃる。仲良しの阪西敦子西村麒麟厚子夫妻佐藤文香太田うさぎさん岸田祐子さん近江文代さん菊田一平さん小石さんをはじめ天為の皆さん等々、馴染みの皆さんに会えるのはとても楽しかった。
伺った回数が少ないだけに若干のアウェイ感が否めない自分だったが、こちらから存じ上げない方々でも「あぁ卯波の!」と皆さん歓迎してくださったし、伊那男先生もカウンターの向こうからニコッとしてくださる。

銀漢亭へ伺って印象的だったのは、いらっしゃるお客様がほぼ俳人ばかりであったこと。
まさに俳人にとってのサンクチュアリ。
卯波の場合は、真砂女の頃から近隣の会社勤めのお客様がメインで、俳人は二、三割程度だっただろうか。
銀漢亭歴の浅い自分にも、まるで俳句の賞の授賞式や、句集の出版記念会の後のパーティーのようで、なんとも居心地が良かった。
全ては偉大な祖母に感謝。

それにしてもコロナは本当に恨めしい。
コロナのせいで半年近く離れ離れになってしまったうちの子(トイプードル12才)はすっかり病んでしまうし、仕事だって今頃はフランスのストラスブールに居たはずだったのに…
そして卯波を閉店してしまった自分に言えた義理ではないが、銀漢亭が失われたのは本当に寂しい。
行った時にちゃんと写真を撮っておけば良かった。
阪西敦子生誕祭には参加出来たけど、うさぎママのムード歌謡ナイトにも行きたかったなあ。
難民と化した俳人達は安住の地を見出せたのだろうか。

赤道直下のアフリカに6年以上も暮らしていたおかげで、季節というものとはまるで無縁になってしまい、俳句からもすっかり遠ざかってしまっているが、これからは当面日本に腰を落ち着けることになりそうだし、この原稿を書かせていただいたのは再び俳句に想いを馳せる良いきっかけになった。
お声をかけていただいて、ありがとうございます。

そういえば真砂女が「万太郎先生がね、俳人はエッセイも書けないといけないって言ってたのよ」と言っていたっけ。


【執筆者プロフィール】
今田宗男(いまだ・むねお)
1960年生まれ。元「卯波」店主。祖母は鈴木真砂女。
卯波閉店後、アフリカにおける6年余の公邸料理人生活を経て、2020年暮れに帰国。



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