餅花のさきの折鶴ふと廻る
篠原梵
(『年々去来の花』昭和49年丸ノ内出版)
先週の夏目成美の句の季語「冬の春」(年内立春)は、いわゆる「絶滅寸前季語」ということなのだろうと思って夏井いつき編『絶滅寸前季語辞典』を引いてみると、正続ともに掲載がなく、意外な気がした。もっともこの辞典は「青き踏む」とか「紅葉かつ散る」とか、ちょいちょい句会で見るような季語も載っているから、たぶん判断基準はあくまでセンスなのだろう。いまや雑誌の記事内容レベルまで図書館で検索できるようになってきている時代なわけで、この五十年、百年ほどの総合誌類に掲載された俳句に使われた季語のデータ分析なども、出来る人がその気になればあっという間にできるんだろうから、本当の「絶滅季語」をデータとして取り出すことや、逆によく使われる季語などの洗い出しなども可能ではあるのだろう。そういう調査をする奇特な方は現れないものだろうか。
さて、掲句はその『絶滅寸前季語辞典』でみつけた句。「餅花」は柳などの枝の先に紅白の餅を小さく切ったものをつけ花に見立てたもの。季語としては新年の部に入る。餅花飾りにつるされていた折鶴のふいの動きに興を感じたものだろう。折鶴は子供には遊びだが、新年の飾りの鶴となればおそらく豊年などの祈りが込められたものだろう。さて梵はこの廻転に吉兆をみたか、不吉と感じたか、ただ興を感じたのみか。
ところで夏井さんは辞典の解説というかエッセイの冒頭で、「一家総出の餅つきの日、祖母が私と妹にやらせてくれるのが、この「餅花」作りだった。」と書いている。夏井さんは愛媛南部の筆者の出身地よりさらに南に下がった町のご出身だが、これは新暦の正月のことだったのだろうか。歳時記類では小正月の行事と解説されるのだけれども、たしか自分の地元では、餅花を旧正月に飾っていたように思う。おぼろげながら幼稚園の頃に行事で餅花飾りをした気もする。餅つきをした覚えはないから、餅に擬した紙粘土か何かだったかもしれず、どうやって作ったのか記憶は定かではないけれども。
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。