生涯の恋の数ほど曼珠沙華 大西泰世【季語=曼珠沙華(秋)】


生涯の恋の数ほど曼珠沙華

大西泰世
(『こいびとになってくださいますか』)

人は、生涯のなかで何回恋をするのだろう。恋の句を多く残した俳人鈴木真砂女は、二度目の結婚の時に年下の妻帯者と恋仲となり、離婚。銀座で「卯波」を開店し、年下男性との関係が続いた。最初の結婚は、恋愛結婚であったが夫の失踪により実家に戻る。その後、姉の逝去により稼業の旅館を守るために義兄と再婚。公表されている男性の数は3人だが、本人は、「恋に生きてきた」と述べる。情が深く一途なだけで、沢山の恋をしてきたわけではない。

小説家の宇野千代は、14歳で継母の姉の子で従兄にあたる藤村亮一と結婚するも十日で実家に戻る。小学校代用教員の職に就くも同僚と恋仲となり退職。その後、朝鮮京城に渡るが翌年には帰国し、元夫の弟である藤村忠と同棲のすえに再婚。職を転々としつつ応募した短編が『時事新報』の懸賞で一等となり、小説を書き始める。その縁で尾崎士郎と出会い同棲し四年後に入籍。さらに二年後には梶井基次郎と噂になり別居。尾崎と正式に離婚したのは、東郷青児と知り合い同棲を始めた頃である。だが東郷とは結婚せず、北原武夫と結婚する。結婚生活は25年続いた。公表されている男性の数は7人。

連城三紀彦の小説『あじさい前線』は、40歳の女性が離婚後に8人の元恋人に逢いに日本全国を巡る物語である。紫陽花の開花を追うように南から北上していく。逢いに行った男達のなかには、片想いで終わった家庭教師や互いの想いを打ち明けず疎遠になった恋も含まれている。離婚した夫も入れると恋愛数は9回になる。多いようで現実味のある数である。

1995年公開の映画『バースデイプレゼント』では、傷心旅行中のヒロインがセーヌ川のほとりで出逢った自称日本人画家の添乗員と食事をした後、なりゆきでホテルの部屋に誘ってしまう。部屋に入り急に冷静になったヒロインは、純朴そうな自称画家を遠ざけるため、咄嗟に「あなたは私の37人目の恋人よ」と言う。37は、部屋の番号から出た数字であり実際の経験人数は不明。恋愛経験3人の男性は、気後れしてしまい急用を理由に部屋を去る。翌日、寂し気なヒロインの様子が気になった自称画家は再び彼女を訪れ「恋が多いということは、それだけ人を愛する気持ちを持っていて、恋の数だけ傷ついてきたということです」と述べ、再会の約束をする。ヒロインは、処女でないことを理由に弁護士との婚約を破棄された経緯があった。日本で自称画家とデート中に元婚約者と出くわす。相手も恋人を連れているのだが「もう新しい男か。やはり淫乱なのだな」と嫌味を言われる。これまた咄嗟に「彼は私の37人目の恋人よ」とやり返す。すると元婚約者の恋人が「あら、少ないのね」と言い、弁護士が驚く。映画なので面白おかしく描かれているが、37という数字が印象に残った。

ちなみに、ショットバーの常連客であったナンバーワンキャバ嬢の恋の数は22人であった。幼稚園時代の初恋から数え始め、アイドルや憧れの先輩も含まれていた。お客さんに一目惚れして指名に繋げたものの、告白したら来てくれなくなったなどという話も。枕営業はしない主義なので、22人は心の恋人も含めた数である。

男性は、女性の恋歴を気にするようだ。ある時のショットバーでは、二十代後半の男性たちが、恋人の経験人数は何人が望ましいか語り合っていた。みな、結婚を意識し始める年齢である。処女は重いとか2人目だと前の男と比較されそうで嫌だとか議論したすえに「あなたが3人目」が一番よいという結論に達した。4人目は縁起が悪いので駄目だとか、5人目だと多いとか、どこまで本気の話なのかは分からない。処女性は大事だが、多少は世慣れていて欲しいということであろうか。それ以来、恋の数を聞かれた場合には「あなたが3人目」と答えるようにしていた。意外と信じて貰えるものである。信じなかったのは夫ぐらいだ。そもそも女性に恋愛経験数を問うような男性はろくなものではない。

生涯の恋の数ほど曼珠沙華  大西泰世

作者は、昭和24年兵庫県生まれの川柳作家である。デザイン科を卒業後、26歳の時に川柳を始める。36歳の時に姫路市でスナックを開業。その頃、大学講師となり川柳史の授業を持つ。大学の先生が夜はスナックのママというギャップが話題となった。第一句集『椿事』、第二句集『世紀末の小町』は、川柳として出版しているが、季語が入っている句が多いため、俳人の間でも高い評価を得た。第三句集『こいびとになってくださいますか』では、第一回中新田俳句大賞を受賞。選考委員の俳人石原八束からは「死からはじまってエロスの世界を引き出す。迫力がある」と評された。パリでの講演の際に、海外では俳句は知られているものの川柳の知名度が低いことを知ったという。その上で川柳と俳句の境界は、あいまいになっていると述べた。俳人と同列の扱いをされている作者ではあるが、俳句よりも川柳の方に魅力を感じている。

〈身を反らすたびにあやめの咲きにけり 泰世〉〈如月にうつくしく死ぬ生殖器 泰世〉。大胆な表現ではあるが、俳人には斬新な俳句として映る。〈ゆびきりの指を離せば山青し 泰世〉〈火柱の中に私の駅がある 泰世〉。季語はないのだが、〈山青し〉は夏を思わせ、〈火柱〉は火祭りやどんどん焼きを想起させる。現代俳句は、季語として認定されていない言葉でも季節感があれば良しとする向きもある。無季容認の俳句結社もある。

掲句は、曼珠沙華が秋の季語である。曼珠沙華は、球根より増える多年草で、群生しやすい。秋彼岸の頃に咲くため「彼岸花」と呼ばれ、墓地に植えられた。「死人花」や「地獄花」などの呼称もある。鱗茎に毒があることから、子供が触れないよう「家に持ち帰ると火事になる」と教えられる。真っ赤な花の形状は、毒々しく不吉な雰囲気がある。

埼玉県の巾着田は、曼珠沙華群生地として知られている。巾着の形に蛇行する高麗川に抱かれた森を埋め尽くす花は、果てしないほどに地を赤く染める。その曼珠沙華のイメージが頭にあると〈生涯の恋の数ほど〉という表現は突拍子もないように感じてしまう。と同時に川柳だから少々大袈裟に表現したのだろうかとも思ってしまう。曼珠沙華の球根は、一株に5、6個ほどで、道端で見かける花の数もまたせいぜいその程度である。花弁の数も6枚。生涯の恋の数が5、6人というのは、何とも妥当な数である。ただ、それではこの句は面白くない。

百とか千という言葉は、実際の数ではなく多いことの表現として用いられる。例えば百面相は実際の数ではなく、沢山の表情を持っているという意味である。嘘八百や千手観音もそうだ。数え切れないほどの恋をしたことの表現として曼珠沙華が引き合いに出されたのだろう。群生する曼珠沙華に圧倒されつつも、一つ一つの花は細い花弁を必死に広げ刹那の赤さを保っている。沢山の恋をしてきたのだが、どの恋にも情熱を捧げていた。燃え尽きても燃え尽きても、再び新しい恋を探す。恋の淋しさから恋が芽生え、その恋がまた新しい出逢いを生む。気が付くと、片手では数えきれないほどになっている。5人を超えたらあとは沢山とかいっぱいと表現するしかない。「今まで何人の男と恋をしてきたんだい」と問われ「そうね、曼珠沙華ほど」と答えられたらもう、最高にいい女である。私も言ってみたいものだ。

夫と暮らし始めた頃に、巾着田に行った。連休中の高麗駅前はカップルで溢れていた。駅から徒歩15分。前を行く男女の会話を聞きながら歩いた。敬語で話し合い、よそよそしい雰囲気であった。夫に「前の二人はきっと断れないお見合いで出逢って、初デートなのよ。恋には発展しなそうね」と言った。「君はいつもつまらない発想しかしないね。女は可愛い顔が売りの悪女で、純情そうな男を手玉に取って貢がせるつもりに違いない」「それにしては、ぎこちないけど」「男の直感だが、あの手の女に騙されてはいけない」。夫の直感などいい加減なので本気にしなかったが、女性はずっと退屈そうにしていた。自分が何故ここにいるのか分からないような顔でぼんやりと曼珠沙華を眺めていた。淡いピンクのワンピースをふわりと纏う女性の横顔は意外にも気が強そうに見えた。もしかしたら、他に好きな人がいるのかなとも感じた。相手の男性もまた、何か違うと思い始めたのかどんどん無口になっていった。「あの二人を恋愛に発展させるにはどうしたらいいのかしら」「どう考えても無理だろ」「手玉に取るという話はどこに行ったの」「あまりにもつまらないから諦めたんだよ」「そんなふうには見えないけど。でもあの子のようなふんわりとした感じの女の子は、恋が多いのよね」。

夫の直感は少し当たっているのかもしれない。恋多き女性は、男性に誘われればとりあえず一回ぐらいはデートをする。だけれども自分を愛してくれない男性だと察するとすぐに次へと進む。異性とデートした数なら、曼珠沙華ほどではないが、まあまあ多い。ほんの少しでもときめいた数も入れてしまえば、一畳ほどの曼珠沙華の数にはなるか。目の前には、ただ茫々と曼珠沙華の海が広がっていた。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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