あしかびの沖に御堂の潤み立つ
しなだしん
「あしかび」は「蘆牙」。蘆の新芽のこと、というのはこのサイトを訪れる俳人なら既にご存知に違いない。漢字の読み方クイズなら難易度の高い方にランクインするのではないだろうか。『古事記』の冒頭に「葦牙の如く萌え騰る物によりて成れる神の名は」とあり、蘆がそれほど昔から日本人にとって親しい植物だったことに少なからず驚く。蘆の芽はほかにも、蘆の角、角組む蘆、蘆の錐とも呼ばれるが、いずれも突き出た芽の形状を見立てたものだ。水辺を吟行しているときに「ほら、蘆の角」と指さされて見ると、池の中から細く鋭い芽が幾つも出ていた。まったく上手いこと言ったものだなあ、と感心した覚えがある。
掲句はどこかの浮御堂の景色を詠んだもの。浮御堂といえば琵琶湖の満月寺が有名なようだけれど、特定する必要もないだろう。いや、むしろどこそこと名前を与えない方が趣があるような気がする。足元の岸辺から彼方の御堂まで蘆がつんつんと芽ぐんでいる。まるで若くて勢いのいい護衛隊のようだ。しかし、この句の眼目は何といっても「潤み立つ」だろう。晴れた日の水辺では遠くの景色が蜃気楼のように揺らいで見えることがある。それを「潤む」と表現したのは美しく、どこか官能を帯びた陶酔も感じられる。最後を「立つ」と締めたことで凛とした読後感を残すところもいい。
やがて季節が過ぎればこの御堂は成長した蘆にすっかり隠れてしまうのだろう。水温む今の時期限定の景色だ。なんとも旅心を誘う一句である。
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
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