赤とんぼじっとしたまま明日どうする 渥美清(風天)【季語=赤とんぼ(秋)】


赤とんぼじっとしたまま明日どうする

渥美清(風天)

結社誌でいつまでも2句しか掲載されない、3句しか掲載されない人へのアドバイスとして聞いた話を※。1句上のランクの句を読むと良いということである。毎月2句掲載の人は3句欄を熟読、3句の人は4句欄をじっくり読むべしということ。それを聞いた頃私は3句から抜け出せなかったので実践してみた。選をする基準は多角的なのだろうが、その時発見したのは季語への没入具合の差であった。3句欄の句と4句欄の句では明らかに違う。これがいわゆる写生というやつかと自分なりに納得したのであった。他にも理由があるかもしれないが、成果はあった。

赤とんぼじっとしたまま明日どうする  風天

風天は俳優・渥美清の俳号。「平成三年十月 六十三歳」の前書きがある。渥美清主演映画「男はつらいよ」第一作は1969年8月27日に公開された。今年で55周年となる。

赤とんぼはとまる場所を見つけるとそこに長い時間とどまる。人間などが近づいて一度飛び上がっても、すぐに同じ場所に戻ってくる。とどまり続けるうちに次第に翅が下がってきてシルエットは一直線から山型に変わっていく。掲句の赤とんぼも翅を下げた姿勢で固まっていたのではないだろうか。見入っていると心は次第に赤とんぼと一体化していく。

こんなに長い時間そこでじっとしていて、この先どうするつもりなんだ?明日はどうするのか?赤とんぼに語りかけているうちに、その言葉は鏡のように自らに跳ね返ってくる。この投げかけは人間に向かった瞬間とても生々しいものになる。ずっとここにとどまって、これからどうやって生きて行くんだ?明日もこんな風にとどまっているのか?こんな強い自省が俳句になると軽やかに仕上がるのだ。

「明日どうする」は渥美清が風天として言葉にすることで読者にとっては寅さんからの語りかけになり(寅さんが言うか!と突っ込みたい)、作者には自分への語りかけになる。この自省はじっとしている赤とんぼへの深い没入が呼び起こしたのではないだろうか。

同じ句集にあった〈蓑虫こともなげにいきてるふう〉〈渡り鳥なにを話しどこへ行く〉も没入度が深く、虫や鳥と同じ視点から描いており、まるでその世界の住人になっているかのようだ。〈少年の日に帰りたき初蛍〉も気になった一句。

映画版だけでも48作分寅さんを演じた渥美清の発する言葉の奥行きを味わいたい。

『赤とんぼ』(2009年刊)所収。

※一般的に、俳句結社が発行する結社誌(俳句雑誌)では誌友(会員)は毎月5句を投句します。5句全句が先生の選に入れば5句掲載、4句であれば4句掲載と続きます。そのシステムに基づいた話です。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



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