十二から冬へ落っこちてそれっきり
平田修
(『白痴』1995年ごろ)
以前〈冬前にして四十五曲げた川赤い〉という句を取り上げた際にも述べたが、平田句に頻出する数字は年齢を表していることが多い。その機序に則れば、掲句は十二歳、つまり少年時代の回想を含んでいるものと読むことができるだろう。曰く、平田俳句でしばしば「赤」や「冬」といった言葉で表象される、その最期まで平田の心の一部や全部を覆っていた暗い感情の萌芽は、十二歳のときにまで遡るのだという。冬に”落っこちる”という具体性の薄いフレーズが、かえってその見えない傷の深さを思わせる。穴なのか坂なのか、いずれにせよ落ちるという言葉は重力のかかる方向への移動を意味する。重力に逆らって這い上がるというのは非常に困難なことである。一般にそうであるのだから、深い傷を負った人間にとってのそれがどれほどの苦しみを伴うかは想像に難くないだろう。
当たり前のことを断っておくが、俳句は必ずしも事実をベースにするとは限らない。それがいくら平田のような「境涯系」とでもいうべきタイプの作家であったとしても、その作品のすべてが自伝的意味を持つわけではない。一方で、作品と作者が決して機械的に分離され得るものではないこともまた事実である。例えば田中裕明の〈爽やかに俳句の神に愛されて〉を含む第五句集『夜の客人』を、俳壇の未来を担うべく期待されながらも白血病により若くして命を落とした著者の遺句集であるというコンテクスト抜きに論ずるのは骨の折れる仕事になるだろう。あるいは〈ひかり野へきみなら蝶に乗れるだろう〉で知られる折笠美秋の俳句を読み解くとき、それがALS(筋萎縮性側索硬化症)の影響で全身の筋肉が萎縮しゆくなか、全霊を込めた目や口の僅かな動きによって妻・智津子氏に文字を伝えることにより記述された作品群であるという事実が脳裏を離れることはないはずだ。
こと俳句における作者と作品の関係、などという話は第二芸術論以降飽きるほど繰り返されてきているので、ここではこれ以上取り沙汰しない。というより、その話題は現代において意味をほとんど失いつつあると言ってもいいかもしれない。これからは人と人のかかわり、特に具体的な個人同士の間に生まれる一回性の関係(=わたしとあなたの関係)がその希少性を高めていく。一般論や定理の追求はひとつの潮時を迎え、個別具体的な言葉を積み上げていく営みが今まで以上に重要なものとなってくるだろう。いま平田修というひとりの作家とその作品を眼の前にして、僕がそれを読みたい・語りたいと思っている。こうした一対一の関係を皆がそれぞれに築いていくことができるなら、どれだけ尊いことだろうか。俳句はまだ、そのかすがいになれると思う。
(細村星一郎)
【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
【細村星一郎のバックナンバー】
>>〔35〕死に体にするはずが芒を帰る 平田修
>>〔34〕冬の日へ曳かれちくしょうちくしょうこんちくしょう
>>〔33〕切り株に目しんしんと入ってった 平田修
>>〔32〕木枯らし俺の中から出るも又木枯らし 平田修
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>>〔30〕冬前にして四十五曲げた川赤い 平田修
>>〔29〕俺の血が根っこでつながる寒い川 平田修
>>〔28〕六畳葉っぱの死ねない唇の元気 平田修
>>〔27〕かがみ込めば冷たい水の水六畳 平田修
>>〔26〕青空の黒い少年入ってゆく 平田修
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>>〔24〕生まれて来たか九月に近い空の色 平田修
>>〔23〕身の奥の奥に蛍を詰めてゆく 平田修
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