その朝も虹とハモンド・オルガンで
正岡豊
自分はずーーーっと俳句のハの字も頭にない人生を送っていたのですが、短歌については小中学生のときに寺山修司や俵万智の本を読んだり、自宅にあった近代歌集を順に眺めたりと、ジャンルとして馴染みがありました。
いまでも俳句を書くときは異国語に取り組むような頭の切り替えが要る反面、短歌を読むときは母語に返ったような安心感にひたれます。
そんなわたしですが、歌人・正岡豊のキャリアが俳句から始まっていたことをまったく知らず、あれはたしか2000年くらいだったでしょうか、彼の短歌をネットで検索したら「天象俳句館」というホームページに行き着いて、へえ、そうなんだ、と思いました。そこに載っていたのは、こんな句です。
とかげにもジム・ジャームッシュにも似ぬ生よ
サリドマイドを忘れてしまった水に会う
少女が父をうらんで放送部員になる日まで
すごく変な句なのに、自由な作風にありがちな「瑕疵の魅力」に凭れることなく、視界がすっきりして、背骨もしっかりして、なんてすてきなの。
で、すっかり正岡豊の俳句が好きになってしまったわたしは、自分の句集をつくるときに帯を正岡豊の句で飾ろうと思い、本人のOKをもらったんです。ところが周囲に「自分の句集の帯に他人の俳句をのせるなんて頭おかしい」と諭されて、ああ、そういうものなのか、とぎりぎりになって断念したのでした。のせたかったのは、これなんですけど。
その朝も虹とハモンド・オルガンで 正岡豊
朝と虹とハモンド・オルガン。これが、なぜかわたしには第三世界という言葉が生きていたころの〈世界文学〉と〈珈琲〉の香りに感じられるんです。しかも中黒「・」がくらくらするほど聡明でセクシー。なんなんでしょうね、この「・」の威力は。
最後にひとつ細かいことを書きますと、この句は歌集『四月の魚』に入っている連作の一タイトルだったりします。だから世間からは俳句だとは認識されていないでしょう。いや、もしかすると正岡豊自身もそう思っていなかった可能性がある。せっかくなので、この連作の中から一首引用しておきます。
夕焼けるように終わればきみのなか泣いている雨のモリアオガエル 正岡豊
(小津夜景)
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【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」
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