あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修【季語=あじさい(夏)】

あじさいの水の頭を出し闇になる私

平田修
(『曼陀羅』1996年ごろ)

本稿は今日6/15(日)に羽田空港第一ターミナルで行われている全国高等学校俳句選手権大会、通称「俳句甲子園」の東京予選大会を観戦しながら書いている。東京会場には開成高校などの全国大会常連校だけでなく、駒場東邦高校などの新鋭も出場していて、地方予選大会の中でも有数の見ごたえある予選大会となっている。この原稿が公開される頃には、優勝チームも決まっているだろうか。やはり高校生たちの熱いぶつかり合いはそれ自体が輝きを放つだけでなく、それを観る我々にもなにか新鮮な熱量を与えてくれるようなエネルギーがある。それにまんまとあてられて筆を執っているわけだが、書いていてつくづくつまらない大人の感想だな、と思う。

さて、掲句は句群『曼荼羅』の中盤に位置する句。視覚的に示されているのは紫陽花の花だけという難解な句で、5/9/8という見慣れない韻律も相まってどこか不気味な印象すら感じられる。読者としてこの句に接近するためのキーになるのは、やはり「頭」「闇」そして「私」という3つの言葉だろう。

「頭」とは脳を内包する人体のいちパーツであり、すなわち”思考する部位”である。しかし身体的な描写の多い平田の作品にあって、頭という部位もその思考や脳内の回路といった特徴よりも、あくまで硬質で重量を持った独特なパーツとして物質的に機能しているように見える。高度な性能を無視して頭そのものの大きさや硬さに注目した時、オブジェとしての頭蓋骨がヌッと現れる。そしてその無機質さと対象的に、内部器官としての脳によく似た紫陽花がぽんぽんと咲いている風景が異質さを持って立ち上がってくるのだ。

そうした頭と紫陽花の奇妙なコンポジションが、怪しげな韻律を引き連れて行きつく先が「闇」であり「私」なのである。平田句には「俺」「僕」といった一人称が頻出するわけだが、それらの語彙と比較すると「私」とは決して主張の強くない、ニュートラルな表現に見える。むしろインパクトの強い言葉の多い作品群においては、どこか平田の自我も鳴りを潜めて弱気になってしまっているようですらある。そうして思考と自我という人間の大きな特徴を2つも捨ててしまったあとに残るのは闇にほかならない。身動きの取れない闇と化した”私”の真っ暗な視界にはわずか一筋の光が差し込んでおり、そこには”私”と反対に思考の象徴と化した紫陽花の花が妖しく揺れている。紫陽花と身体が複雑に交錯することで作品世界に読者の身体をも没入させるこうした感覚を詩で味わうのは、僕にとってこれが初めてではない。紫陽花と身体のリンクを別の視点から詠んだその”一度目”の作品を紹介して、本稿の結びとしたい。

ライターもて紫陽花の屍に火を放つ一度も死んだことなききみら  塚本邦雄

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。



【細村星一郎のバックナンバー】
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