愛に安心なしコスモスの揺れどほし 長谷川秋子【季語=コスモス(秋)】


愛に安心なしコスモスの揺れどほし

長谷川秋子
 (『長谷川秋子全句集』)

作者は、大正15年生まれ。父の沢本知水は、長谷川かな女主宰の「水明」の創刊に尽力し、編集長を務めた。三女であった秋子は、生家が「水明」の発行所であった縁もあり、かな女に師事し俳句を始める。長谷川零余子とかな女の養子であるフルート奏者の長谷川博と結婚。43歳の時、姑のかな女の逝去にともない「水明」を継承主宰。その3年後、喘息の発作により46歳で急逝。長男は、小説家で俳人の三田完。

美貌であったことで知られる秋子には、激しく抒情性のある句が残る。〈雪をんなとならねば見えぬ雪の城 秋子〉〈飛ぶときの腑まで真白き母の鷺 秋子〉。夫の博とは、主宰継承後に離婚しており、俳句に対する情熱や決意を感じさせる。〈髪多きは女の不幸ほたる籠 秋子〉〈柘榴吸ふいかに愛されても独り 秋子〉。美女であるが故の孤独と、死の予感があったのだろうか。〈わが尿をあつしと思ふ黄落期 秋子〉〈生きることいそがねば雪降りいそぐ 秋子〉。あまりにも早い死は、鮮烈な言葉で彩られた。

コスモスは、メキシコ原産。ヨーロッパで品種改良されたものが、日本に伝わった。明治時代に渡来し、桜の花と形状が似ていることから「秋桜(あきざくら)」と呼ばれるようになる。山口百恵の歌う「秋桜」(作詞・作曲:さだまさし)は、コスモスと読む。コスモスの名は、ギリシャ語で秩序や調和、美しさを意味する「kosmos」に由来している。後に宇宙を意味する「cosmos」のイメージも付加される。花言葉は、調和、謙虚、乙女の純真、乙女の真心である。そのような背景を知らなくとも、幼い頃よりコスモスに親しんできた現代の日本人にとっては、純粋な花に映る。近年の品種改良により、濃い赤や紫のものもあるが、一般的には、淡いピンクの印象が強い。繊細な葉とともに揺れるコスモスは、陽射しに透けて、健気にも儚げにも見える。家の庭で簡単に咲かせることが出来るので、幸せの象徴でもある。

掲句のコスモスは、純真な幸せにそっと水を差すような詠みぶりである。乙女心というよりは、女の視点だ。確かに愛ほど不安定なものはない。特に男女に関しては、夫婦になった後も揺らぎ続ける。安心できないから揺れ、揺れることにより美しくなる。愛は、些細な揺れから崩れることもあるが、絆が深まることもある。愛に安心できるのは男性だけであり、女性はいつも愛に怯えているのだ。

師匠であり姑でもある長谷川かな女もまた不安定な恋を詠んだ。〈呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉 かな女〉。若くして寡婦となり「水明」を創刊主宰した強い女性だ。嗣子の秋子とかな女の間には、親族よりも強い精神的な結びつきがあったと思われる。かな女の俳句の才も感性も引き継いだ秋子は、さらに独自の世界を展開させた。

愛に安心なしコスモスの揺れどほし  長谷川秋子

幼い頃、祖母がコスモスの種を貰ってきて、畑の隅に蒔いた。芽が出て成長し花が咲くまでの一部始終を観察した。夏場は雑草とともに刈られないよう、棒なども立てていたが、独特の葉は他の草とは違う高貴さがあった。やがて畑を縁取るように咲いたコスモスは、近所の人々の眼を惹き、種を所望された。翌年には、村中がコスモスのピンクで染まった。とある写真家が村を訪れ、筑波山から真直ぐに続く河原にコスモスを咲かせ、撮影会を開こうと提案した。村おこしを兼ねてみんなで苗木を植えた。ところが花が咲く直前、台風による洪水で根こそぎ流れてしまった。倒れても起き上がる強い植物のはずなのだが、そんなこともあるのだ。今では村の笑い話である。何事も安心は禁物だ。

ハラハラドキドキする恋というのは、いつの時代においても物語を彩る重要な要素である。安心してしまったら、物語はおしまいである。小説家は勿論のこと、脚本家も漫画家も連載を継続するために、安心できない恋を描き続ける。現実もまた、安心できる恋など存在しない。

私の友人は高校卒業後、地方都市の料亭で働いていた。豪農の子息との縁談もあったのだが、撮影のために訪れた芸能人と恋に落ちてしまう。誘われるがまま上京してみると、相手には婚約者がいた。事務所から独立するためスポンサーの娘と見合いをし、話は順調に進んでいたらしい。東京での生活の面倒をみてくれるわけでもなく、銀座のクラブを紹介された。ただ笑って座っているだけの仕事だからと言われたものの、衣装代や美容院代が嵩んだ。指名を取らなければ借金が増える世界である。さり気ない気遣いと不器用な会話が功を奏したのか、人気者になった。すると、客に嫉妬した恋人の芸能人は婚約者と別れ、求婚してくれた。スポンサーを失っての独立となったが、親族の援助を得て小さな事務所を構えた。パンとサラダだけのささやかな朝食も公園でビールを飲むだけのデートも幸せに包まれた。そんなある日、夫と有名女優との密会がスクープされた。「結婚したことにより仕事が干されてしまい、共演役を得るために仕方がなかった」とのこと。その後は、無断外泊が多くなり、さらには元婚約者の女性から「あの人に再度求婚されたので別れて」という電話までかかってくる始末。結局、離婚を余儀なくされた。

銀座のクラブに復帰すると、「芸能人の元妻」という店の売り込みが受け、再び人気者になる。「別にシンデレラになりたかったわけじゃないの。慎ましい結婚生活を送りたかっただけ」。彼女の言葉を真摯に受け止めた青年実業家から求婚され、再婚した。郊外の高級マンションで男児を出産し、誰が見ても幸せな奥様となった。だが、夫には結婚前から関係を持っていた人妻がおり、若い派遣社員にも貢いでいることが発覚。子育ての相談をできる人もなく、孤独な結婚生活を送っている。

彼女は、道行く人が見とれてしまうほどの美人。手先が器用で家事には手を抜かず、努力家でもある。浪費家なわけでもない。どうして、不滅の愛を得られなかったのだろうか。

私がまだ独身だった頃、彼女の住む町を訪ねた。河原には、コスモスが咲き乱れていた。「昔から好きな花なの。小さな庭のある小さな家に住んで、コスモスを咲かせるのが私の夢だったの。どこで間違えたのかな」。「あなたには、コスモスは似合わない。牡丹とか薔薇とかそんなイメージ」とは言わなかった。牡丹や薔薇が私には手の届かない花であるように、彼女もまたコスモスは手の届かない花だったのだ。「幸せって難しいね」。素朴なピンクの花が陽に透けて揺られていた。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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