江の島の賑やかな日の仔猫かな
遠藤由樹子
江の島かあ。長いこと行っていないなあ。
風光明媚な観光スポットとして江戸時代から今日まで人気の衰えない彼の地だが、いつからか猫の島としても名を馳せるようになった。漁港を抱えているから海の幸にはことかかないし、気候は温暖だし、猫が暮らすには持ってこいの環境だろう。その数も増えて今では猫好きの聖地とも呼ばれているとか。立派な観光資源?として島の経済に一役買っているらしい。当の猫たちはそんなことにはお構いなく勝手気ままに生きているに違いないけれど。
春先の愛の結晶として生まれた仔猫たちも少し成長して今頃は独り歩きをするようになる。小さな体を冒険心で膨らませ、覚束ない足取りであっちへこっちへ。そんな姿が週末に訪れる数多くの観光客の目に留まらない訳がない。「あ、仔猫!」、「きゃー」、「かわいー♡」、「おいで、おいで」。賑やかな声に猫の子はびっくり、大きな目を更に瞠ってぱっと駆け出すのがまた愛らしく笑いを誘う。湘南の海がきらきらと輝いている。
ささやかな幸せとありふれた平和な光景が今や懐かしい。取り戻せるのはいつのことだろう。
行きたいなあ、江の島。
(『濾過』角川書店 2010年より)
(太田うさぎ)
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【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】